佐藤優が朝日新聞10月31日の読書欄の青少年向けのページに親孝行について書いていた。
最近、私が親孝行について感じたのは、逮捕され、東京拘置所の独房に閉じこめられていた2002〜03年のことでした。私の隣の独房には確定死刑囚がいました。自著『国家の罠』(新潮文庫)でも触れましたが、そのときこんなことがあったのです。
ある日、30歳代の人柄のよい黒縁眼鏡をかけた看守が、「面会。お母さんだよ」と言うと、私の隣の確定死刑囚が、「おふくろ。すぐに行きます」と言って、独房から廊下を小走りに面会場の方へ向かっていく姿が見えました。
独房の中から、私はその死刑囚の後ろ姿を見ていましたが、背中にはうれしさがにじみでていました。私も母親のことを思い出しました。
その後、この確定死刑囚・坂口弘さんのお母さんと文通したり、電話で話をしたりするようになりました。坂口さんは『歌集 常しへの道』(角川書店)の中でお母さんについて、こんな歌を詠んでいます。奥深く拒まれいまも実家にて吾の名禁句と母は嘆けり
死刑囚と家族の面会は数カ月に1回しか認められません。坂口さんのお母さんから、「弘は、私や親類の様子について聞きたがるので、15分の面会時間はそれで終わってしまう。弘の獄中での生活についてあなたから聞くことができてとてもうれしい」と言われました。坂口さんのお母さんは08年に亡くなりました。
20年ほど前、朝日歌壇に偶然坂口弘の短歌を見つけて、それから朝日歌壇に掲載される坂口の短歌をワープロに記録していった。連合赤軍のあの坂口だとすぐに分かったのは、その時の短歌が「クリスマスイブに保釈で出でし日が岐路にてありき武闘に染みて」だったからだ。それを3年前ブログに紹介した。
・朝日歌壇に掲載された坂口弘の短歌I(2007年6月9日)
・朝日歌壇に掲載された坂口弘の短歌II(2007年6月10日)