東京都写真美術館の森村泰昌展を見て

 東京都写真美術館で2カ月間にわたって森村泰昌展「なにものかへのレクイエム」が開かれていた(5月9日まで)。今回は美術館の2つのフロアーを使って、写真と動画を数多く展示している。タイトルのように森村自身が写真に写された有名な人物や死者たちに扮している。
 手塚治虫、演説するレーニン、演説するヒットラーチャップリンの独裁者毛沢東、山口乙矢に刺される浅沼稲次郎、手錠をかけられたままアメリカ兵に射殺されるヴェトコン、自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説する自決直前の三島由紀夫の動画等々。
 しかし、刺殺される浅沼稲次郎や射殺されるヴェトコンを演じることにどんな意味があるのだろう。ヒットラー毛沢東、三島などを演じることは彼らへの批判をパロディーとして表現していると弁明できるかもしれない。だが、浅沼やヴェトコンを演じる作品は、彼らへの冒涜にしか思えない。
 そもそも森村の作品はシンディ・シャーマンの模倣にしかすぎない。それも大衆化されたそれではないか。メーキャップ技術を評価すればいいのだろうか。あるいはごつい男がマリリン・モンローなどに扮していることの滑稽さがミソなのか。それとも自分の顔でセザンヌのりんごの静物画をも体現していることを単純に面白がればいいのか。
 私には森村をどのように評価すべきなのか全く分からない。むしろ寄席の色物の世界に近いように思うのだが。
 シンディ・シャーマンの追随者なら森村よりもむしろ やなぎみわ の方を支持する。彼女にはまだ批判性がある。
 でも森村は評価されていて、だから東京都写真美術館で個展が開かれたではないかとの指摘があったら、あの森ビルコンツェルンのお嬢様、森万里子だって東京都現代美術館で大がかりな個展が開かれたじゃないかと答えよう。毒にも薬にもならない彼女の作品が東京都現代美術館の空間を飾ったのだ。公立美術館での個展は、作家の実力を何ら担保するものではないという典型的な出来事だった。