辛口美術コラム集「当世美術界事情II 1990-1999」

 安井収蔵「当世美術界事情II 1990-1999」(美術年鑑社)は安井が「新美術新聞」に1990年から1999年まで連載したコラムをまとめたもの。もう10〜20年も前になるし、コラムという時事性の強い性格から古くなった話も多い。しかし、著者の強い批判精神からまだまだ有効性が失われていないもの、読んで面白いもの、教えられるもの、要するに賞味期限の切れていないものが少なからず掲載されている。

 二科展の画集、出品目録には必ず「二科について」という一文が載っている。いまや創立当初の在野精神や実験的創造精神はツメの垢ほどもないが、その一文のなかに「…行動美術協会、二紀会などは二科会から派生した美術団体」と説明している。
 が、これには少々、異論のあるところだ。宮本三郎から直接聞かされたことだが「二科は30回展(1942年)で解散した。敗戦後、東郷らが、反対を押し切り、二科を名乗り、あまつさえ31回展(1946年)と称した。あれは東郷二科だ。ぼくや向井君(潤吉)らは二紀や行動を作ったわけだ。日展に参加するといいだして開いた口がふさがらなかった」と激しく怒っていたことを覚えている。

(平成4年)2月22日、下関市立美術館で韓国現代美術展が開幕する。新潟、笠間、津を巡回する。一昨年秋、招待作家を決めるため、日本から3人の美術館長が、ソウル郊外、韓国国立現代美術館をたずねた。
 館長は早大卒、会津八一門下の知日派、李慶成(イ・ギョンソン)である。同国ではコンテンポラリー・アートが花盛り。「なぜ、現代美術なのか」との問いに、笑みをたたえた館長の口から「日本のおかげで、韓国では近代美術が欠落したから…」という言葉が返ってきた。日本側のひとりは「微笑の奥にある真実のもつ説得力に言葉を失った」と語っていた。

 例年のことながら新聞、テレビは芸術院会員、文化勲章を国をあげての一大事の如くに扱っている。発表を鵜のみ。マスコミの原点である批評精神は、ひとかけらもない。国家的栄誉とはいうが、黙っていては会員になれないし勲章も貰えない。政治家、役人、叙勲者すべてが百も承知のことである。
 かつて林武が「東郷(青児)の奴が来てねえ、会員(芸術院)になりたいなら3千万円用意しろと言ったが俺は断ったよ」と語ったことがある。美術界では常識の話。同じことが文学界にもあるらしい。朝日新聞の名物記者だった百目鬼恭三郎が「新聞を疑え」(講談社)の中で、つぎのように書いている。
『……獅子文六久保田万太郎と同じ電車に乗り合わせたとき、雑談の末、久保田が急に声をひそめ「芸術院会員になりたくないか。その気があるなら、これこれの資金を用意してくれれば、まちがいなくしてあげるよ」といった、という話を獅子は随筆に書いている。……不思議にもマスコミは一片の批判もなしに、提灯もち報道をするばかりなのである、と』

 東郷が、芸術院会員になりたいなら金を用意しろと言ったというこの話は、以前会員に推薦してほしいと、内藤伸のところに東郷本人が金を持ってきたという話を思い出す。そのことは、祖父の留守中、知らずにいったん受けとった金を、駅前旅館に待機している東郷に返しに行かされた内藤伸の孫の方から直接うかがった。

当世美術界事情〈2〉1990‐1999

当世美術界事情〈2〉1990‐1999