「人イヌにあう」を読んで、個性ということ

 コンラート・ローレンツ「人イヌにあう」(ハヤカワ文庫)はノーベル賞を受賞した動物生態学者が動物の生態を描いた作品で、同じ著者の「ソロモンの指輪」には一歩を譲るもののきわめて面白い。その犬の個性を論じているところ、

 個性を誇大にいわれる人類にあっても、型は遺伝によってみごとに保存されている。(中略)私の子どもの一人に、4人の祖父母たちの性格の特質が、つぎつぎと、ときとして一度にあらわれるのを見て、私はしばしば神秘の念に打たれたーー生者のあいだに死者の霊を見たかのように、私が曾祖父母を知っていたら、おそらくその存在をも子どもたちのなかに発見しただろうし、それらが奇妙にまざりあって、私の子どもの子どもたちにつたえられていくのをみることになったかもしれない。
 私は、みるからに無邪気で、素直な性質をもったちびの雌イヌのスージーーその先祖のほとんどを知っているーーをみると、いつも死と不滅についてのそのような思いにかられるのである。私たちの飼育所では、やむをえず、許されるかぎりの同系交配が行われているからである。が、個々のイヌの性格の特性は、人間のそれとは比較にならぬほど単純であり、したがってそれが子孫の個体の特性と結びついてあらわれるときにいっそう顕著であるので、先祖の性格の特性のすべての再現は、人間における場合にくらべて、はかり知れぬほどはっきりしている。動物においては、先祖からうけついだ資質が個体として獲得したものによっておおいつくされる度合いが人間よりも低く、先祖の魂はいっそう直接的に生きている子孫に残され、死んだものの性格は、はるかに明白な生きた表現をとるのである。

 私も以前、「思考が枠づけられている」(2007年3月5日)において、似た経験をしたことを紹介した。

 絵本を見ていた。タイトルは忘れたが、ウサギを飼う話だ。金網で地面を囲いその中に番いのウサギを放す。ウサギは地面に穴を掘りその穴の中で子ウサギを出産する。やがて穴の中で大きくなった子ウサギたちが親に連れられて穴の外へ出てくる。穴の中の子ウサギのシーンは地面の中の断面図で描かれている。それから次の次の見開きページで子ウサギたちが地上に出ている。この時私は前の前の見開きページへ戻って穴の中の子ウサギの数を数え、地上に現れた子ウサギの数と比べ、落ちこぼれのないことを確認した。

 傍でそれを見ていたカミさんが笑った。どうしたのかと聞くと、娘が同じことをしたと言うのだ。地上に現れた子ウサギの数を数え、2見開き戻って地下の巣の子ウサギの数を数えた。親子で同じことをしていると。(後略)

 私と娘は発想の型がよく似ているのだ。どのように発想するか、それは先験的に決まってしまっているのだ。おそらく私と娘に限ることなく誰もが。それぞれが独自の発想をするのではなく、それぞれがあるパターンに従って発想しているだけなのだ。発想が、おそらく思考が、深いところで枠づけられているのではないだろうか。
 もっと言ってしまえば、自分の個性だと思っているものが単にその一族の思考のパターン、癖なのではないのか。
 つけ加えることがあった。「人イヌにあう」が至誠堂から発行された40年ほど前、大江健三郎は最初この本を推薦し、ついでローレンツがナチに協力した過去を持つからと推薦を取り消した。そして、そういえばローレンツは犬を見下ろしている、というようなことを言っていた。ナチはともかく、動物生態学者が動物を見下ろして何の不思議があるのだろう。


人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人イヌにあう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)