車谷長吉の危ない身の上相談

 6月13日付けの朝日新聞の「悩みのるつぼ」に「男性高校教師 40代」から身の上相談が寄せられている。回答者はエキセントリックな作家車谷長吉さんだ。

 40代の高校教諭。英語を教えて25年になります。自分で言うのも何ですが、学校内で評価され、それなりの管理的立場にもつき、生徒にも人気があります。妻と子ども2人にも恵まれ、まずまずの人生だと思っています。
 でも、5年に1度くらい、自分でもコントロールできなくなるほど没入してしまう女子生徒が出現するんです。
 今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振る舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちらと見てしまいます。
 その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします。
 自己嫌悪に陥っています。もちろん、自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的な行動に出ることはないという自信はありますが、自宅でもその子のことばかり考え、落ち着きません。(中略)
 教育者としてダメだと思いますが、情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか。

 車谷長吉さんの回答は、期待に違わない。

(前略)世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まったと考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。
 あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女性と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。(後略)

 車谷長吉は「好きになった女生徒と出来てしまえばいい」と大胆な回答をする。
 高校教師は「自制心はあるし、家庭も大事なので、自分が何か具体的な行動に出ることはないという自信はあります」と言っていながら、省略した部分で「数年前には、当時好きだった生徒が、卒業後に他県で水商売をしているとの噂を聞き」実際にその街に足を運んで探している。店は見つからなかったが。いや、危ういところにいることを自覚しているのでここに投稿しているのだ。情動の強い人間はいるものだ。
 ここで、つい椎名其二が野見山暁治に語る哲学者森有正のことを思い出した。野見山暁治「四百字のデッサン」(河出文庫)から。

 森(有正)さんは女好きなんですかね、と後日、私(野見山暁治)が口走ったとき、椎名(其二)さんは私の方にきつい顔をむけた。自分の性欲をもってして他人をおしはかってはいけないのです。性欲ほど人それぞれに違うものはないようだ。キミや私は女と喋っているだけで消化できる体質のようだが、森くんはそうではなく、体が言うことをきかないのではないかな。キミはそれをフシダラだというふうに思ってはいけない。

 森有正装幀家栃折久美子ともややこしい関係になっていたことを後年栃折がエッセイに書いていた。
 私だって遠い過去には不道徳な強い情動に苦しんだことがあった、っけ?