再び、サリンジャー「エズメのために」を巡って

 柴田元幸の新しい訳でサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」を読んだ。ヴィレッジブックスという出版社が発行している雑誌「モンキービジネス」の第3号という体裁を採っているが、内容はサリンジャーの短篇集そのものだ。にも関わらずサリンジャー側がいかなる解説も併載するのを拒否したため、解説等は「モンキービジネス」第3.5号に載っているらしい。
 以前、この短篇集の「エズメのために」の副題についてささやかなエントリーを書いたことがある。
サリンジャー「エズメのために」の副題をめぐって」

 サリンジャーの短編集「九つの物語/ナイン・ストーリーズ」に「エズメのために」という短編が入っている。このタイトルの日本語訳がいろいろで微妙に違っている。ちょっと調べただけで次のようになっている。


エズメのためにーー愛と汚れ(武田勝彦、荒地出版社
エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに(野崎孝新潮文庫
エズメのためにーー愛と惨めさをこめて(中川敏、集英社文庫
エズメのためにーー愛と背徳をこめて(鈴木武樹、角川文庫)
ちなみに原題は下記のとおりだ。
For Esm・with Love and Squalor


 日本語訳の違いはささやかなものだが、squalorの訳が一人だけ異なっている。鈴木武樹で、彼はこれを「背徳」と訳している。彼以外の3人の訳「汚れ」「汚辱」「惨めさ」はある程度共通した訳語だ。そして、英和辞典を引くとこの言葉の訳は「1.汚さ、薄汚さ、むさくるしさ、2.浅ましさ、卑しさ、卑劣」(研究社 新英和大辞典)となっている。英和辞典からは「背徳」の言葉は出てこない。つまり、普通に訳したら「愛と汚辱〜」とか「愛と惨めさ〜」となるのが素直な訳なのだろう。それを鈴木は「背徳」と訳した。エズメはsqualorが好きなのだと話した。それで作家は愛とsqualorをこめてこの短編を書いた。エズメが好み、作家がwith squalorとしたのは何か。
 作家はヨーロッパ戦線の戦闘で精神を病み、エズメからの手紙でいやされる、その精神を病んでいた状態を汚辱、惨めさととらえ、多数派の訳者たちが副題に選んだのだろう。だが、背伸びしている少女エズメが汚辱、惨めさという言葉を好むだろうか。
 もう一人の訳者鈴木武樹は、この訳語ではなく背徳という言葉を選んだ。鈴木は自覚的なのだ。彼はsqualorに本来的ではないこの訳語「背徳」のニュアンスを感じ取ったのだろう。それが誤りでなければ、エズメが好んだ概念としては「汚辱、惨めさ」ではなく「背徳」こそが適切なものだ。さらに背徳は作者がエズメに対して抱いた感情でもある。公にできない感情、少女エズメへの背徳的な愛情という。だから「愛と背徳をこめて」なのだ。
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 柴田元幸の新訳では「愛と悲惨をこめて」となっている。ではその「悲惨」の言葉が使われているシーンをみてみよう。

 エズメはふたたびくるぶしを交叉させて立っていた。「あなた忘れないでくださる、私のために小説を書いてくださること?」と彼女は訊いた。「全面的に私一人のためだけでなくてもいいのよ。何ならーー」
 忘れる可能性は万が一にもありえないと私は答えた。誰かのために小説を書いたことは一度もないけれど、いまはまさにそれに取りかかるのにうってつけの時機だと思うと私は言った。
 彼女はうなずいた。そして「ものすごく悲惨で感動的な話がいいわ」と提案した。「あなた、悲惨というものはよくご存知?」

 この場合「悲惨」も悪くないと思える。だがやはり上記の理由で鈴木武樹の訳語を採用したいと思うのだ。