3人のマル

 マルという名前から連想するものはふつう映画監督のルイ・マルだったり、ジャズピアニストのマル・ウォルドロンだったりする。ソ連言語学者ニコライ・マルを思い出す人もいるかもしれない。
 ルイ・マルはフランスヌーヴェル・バーグの映画監督で、「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「地下鉄のザジ」「私生活」「鬼火」「ビバ!マリア」「プリティ・ベビー」「さよなら子供たち」「五月のミル」などの作品がある。ザジは楽しい映画だった。レイモン・クノーの原作で、その小説もすごく良かった。「さよなら子供たち」はナチスに連行されていった同級生のユダヤ人の少年を描いていた。


 マル・ウォルドロンはジャズピアニスト、ビリー・ホリディの伴奏を勤めた。「Left Alone」「All Alone」というアルバムがある。
 他にマル・ウォルドロンに似たピアニストはいないかと聞くと友人はセロニアス・モンクを勧めてくれた。もう40年も昔のことだ。アルバム「Solo Monk」は難しかった。当時LPレコードは高かったので何枚も買うという訳にはゆかず、このモンクのアルバムを繰り返し聴いていた。それで今では最も好きなピアニストの一人になった。


 言語学者ニコライ・マルはソビエト言語学の中心人物で、言語を上部構造とした。それに対してスターリンが1950年に「マルクス主義言語学の諸問題」を発表し、言語は上部構造でも下部構造でもないと批判した。これがソビエトイデオロギー批判の端緒になったと田中克彦が「スターリン言語学『精読』」(岩波現代文庫)で書いていた。

 しかし、ソビエトイデオロギーを自らの手で否定し、それに終えんを告げたのは、スターリン自身であった。それを、じつにていねいな方法を用い、学問体制批判という形で行ったのが、50年の「マルクス主義言語学の諸問題」であった。
(中略)
 スターリン言語学の役割は、言語学マルクス主義を適用することが無効であり、ソビエト言語学が敗北したことを宣言することであった。ソ連言語学に自由を与えたスターリンの役割はそこで終り、そして、あれから50年たった今、彼の「言語学の論文」は、想起されることさえなくなったのである。

 驚いたことに、ものの考え方が保守的だと自称する佐藤優の「国家論」(NHKブックス)に田中克彦のこの本が引用されていた。