十亀弘史が朝日歌壇賞を受賞

 第39回朝日歌壇賞に佐々木幸綱は十亀弘史の次の歌を選んだ(朝日新聞2023年1月8日付)。

 

戦争は祈りだけでは止まらない 陽に灼かれつつデモに加わる

 

 十亀さんは時折朝日歌壇に選ばれ常連の一人となっている。もう何年にもなるが、ある時獄に入ると詠って強い印象に残った。

 

獄中へ持ち行く本を買ひに来て分厚き本を選びてをりぬ

入獄を前に末期の眼(まなこ)めく空も川面も緑も美し

 

 選者の高野公彦がその背景を解説している。

 

作者注に《「迎賓館・横田」事件で28年の裁判の結果「有罪」が確定し、4年7か月入獄します》とある。

 

 ネットで「迎賓館・横田事件」を調べてみると、1986年に東京で先進国首脳会議開かれた折り、新宿区内のマンションからロケット弾が迎賓館に向けて発射され、弾は迎賓館を飛び越えて道路上に着弾した。マンションの遺留品から中核派の犯行と認定され、同派の活動家3人が逮捕された。しかし証拠が少なく、裁判は長期にわたってもつれ、今年3月、最高裁が上告を棄却し、ようやく有罪が確定した。逮捕された3人の中に十亀弘史がいた。

 あれから6年が経っている。当時学生運動に従事してその後の人生が変わった人たちが数多くいただろう。わが友原和もその一人だった。

 十亀弘史の句を探すとネットにいくつも載っていた。いずれも良い句ばかりだ。

 

腕出して腕だけの春鉄格子

獄中に不在者投票梅雨深し

獄庭へぎざぎざの冬降りて来る

二糎の隙間より見る遠桜

花びらを受けて静かや手錠の掌

軍事基地の桜・桜・桜・闇

自足する醜さに満ち花の宴

雲厚し枝垂桜のなまぬるし

生と死のあはひに満ちし桜かな

ひつそりと桜立たしめ死刑場

独房に動かぬ時間春の塵

独房に蛇口輝く夏初め

洗濯を水遊びとし独居房

独房にざくりと割りぬ青林檎

独房を梨噛む音で満たしけり

三角の冬晴を置く独居房

月光を二十四に分け鉄格子

独房に飛ぶ夢を見し良夜かな

独房をとびだすこころ銀河まで

独房の初夢河馬と空を飛ぶ

 

 

 学生運動の歌というと原哲代の短歌を思い出す。

 

闘争後大学を去り二十年夫は一人の友もつくらず

 

 

 

墨田区の石けん工場の火災跡地を見る

 暮れの12月27日東京匡墨田区立花3丁目の化学工場から火が出て、工場や隣接する住宅など5棟2600平方mが焼けた。火事の11日後に火災現場を見に行った。

 火災についての東京新聞の記事によると、「署などによると、工場は木造2階建てで、約1300平方メートルが全焼した。工場では洗剤やせっけんなどを製造していたという」。

 現場は旧中川の土手沿いにあり、土手の上から火災現場がよく見えた。当時北風が吹いていて、火や煙は南側に流れ、南に位置する建物に大きな被害が出た。旧中川はこの辺りでは南北に流れているので、風は川に沿って川下に流れていった。風下のシバタという会社の5階建てのビルは窓がすべて焼け落ち、内部も燃え尽きているだろうと想像された。

 工場の東に旧中川、西には道路1本隔てて住宅が並んでいたが、それらの住宅にはほとんど被害はないように見受けられた。もし東風が吹いていたら大惨事になっていたかもしれない。

 

12月27日の火災

【以下火災跡地】

シバタビル

土手を挟んで左火災跡地、右旧中川

火災にあった第一化学入口

1年ほど前の旧中川から見た工場

1年ほど前の工場の壁










 

山本弘の作品解説(111)「箱」

山本弘「箱」、油彩、F10号(天地45.5cm×左右53.0cm)

 

 1976年制作、山本弘46歳の晩年の作品。ワシオトシヒコさんが雑誌『美庵』に紹介してくれたことがある。私も山本が身近な箱を描いたと思っていた。ところがある人が、この絵は何を意味しているのか考えなさいと言われた。そこで初めて、山本が単なる箱を描くはずがないと気づいた。箱こそ何かを表しているに違いない。

 この箱は中が白く塗られている。外側はそんなにきれいでもない。するとやはり自画像だろうかと考えた。山本は近所にあった汚い水を貯めた沼や、わびしい小屋や一軒家を美しく描いた。あたかもほとんど無価値で汚れて見えるそれらが実は輝いているのだと、それが自分なのだと、それらを自画像のように描いたのだった。だが、それに比べると、箱の外面はさほど汚くはないし、第一箱そのものは本来汚いものではない。では何だろう?

 箱の側面に丸い図形が3つ描いてある。これはもしかすると顔かもしれない。だとすれば山本の家族ではないだろうか。当時5歳の娘と愛子夫人と画家本人。ならば箱は山本の家族=家庭=家を表しているのかもしれない。家庭は白く輝いている。

 山本には若いころから尊敬し親しんできた先輩にして友人がいた。彼、小原泫祐は僧侶であり優れた画家であった。二人は死んだら隣り合った墓に入ろうと話していたという。しかし、山本が40歳直前の頃、突然小原泫祐は人妻と駆け落ちしてしまう。そのまま二度と寺にも飯田へも戻ることなく、名前も若栗玄と変えて、もう亡くなるまで古い友人の誰とも会うことはなかった。

 山本はもともと社旗的に孤立していた。おおそらく小原泫祐がたった一人の心を許した人だったのではないか。その人からも見捨てられた。山本は深い孤独を感じたに違いない。この時、ただ家族だけが文字通り親密な共同体だったのだ。「箱」はそのことを表している。

 

 

 

若桑みどり『絵画を読む』を読む

 若桑みどり『絵画を読む』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「イコノロジー入門」、「イコノロジー」とは図像解釈学。11月に読んだ若桑みどり『イメージを読む』の姉妹書。若桑によれば、『イメージを読む』は初級用の、『絵画を読む』は中級用の啓蒙書とのことである。本書はもともと1992年NHK教育テレビの「人間大学」で全12回6時間に渡って放映されたテクストを改訂したもの。NHKブックスの1冊として1993年に発行された。私も当時NHKブックスを購入して読んでいる。今回それを書棚に探したが手放してしまったようだった。

 本書で取り上げた絵画は、カラバヴァッジョ「果物籠」、ティツィアーノ「聖なる愛と俗なる愛」、ボッティチェッリ「春」、ニコラ・プサン「われアルカディアにもあり」、ミケランジェロ「ドーニ家の聖家族」、フラ・アンジェリコ「受胎告知」、レンブラント「ペテロの否認」、ブロンズィーノ「愛のアレゴリー」、ジョルジョーネ「テンペスタ(嵐)」、デューラーメランコリアⅠ」、バルドゥング・グリーン「女の三世代」、ピーテル・ブリューゲルバベルの塔」の12作品。

 ヨーロッパ絵画は、写実主義以前はみなこのように複雑な意味を持っていたのかと驚かされる。若桑は一見隠された意味をつぎつぎと読み解いていく。それは正に驚くべきことばかりだ。

 極論すれば、美術愛好家にとって本書は必読書と言って良いとまで思う。特に日本人は絵画をキリスト教プラトン主義などの文化を捨象して絵画を感性だけで見ているきらいがある。もちろん私もそうだった。日本人の好きな印象派は風景をそのまま描く傾向にあり、絵画をそのようなものと捉えてきたと思う。目から鱗が落ちるのは確実だ。

 

 

 

ボケの挿木



 港区外苑前の民家にボケの木があった。春には深紅の花が咲き、隔年くらいにボケの実が生った。ボケの実は誰も採らないようで、翌春にはしぼんだ実が木に残っていた。

 深紅の花がきれいだったので、昨年の初夏にこっそり20cmくらいの小枝を折り取った。帰宅して挿木床(砂を敷き詰めた小さなプランター)にそれを挿した。夏には葉が伸びてきたので植木鉢に移植した。しかし、それ以上伸びることはなく、根元の葉を残して落葉してしまった。

 根元の葉は秋になっても元気で、そのまま日なたに置いて毎日水やりした。秋になって外苑前の民家の辺りに行ったら景色が変わっていた。あの民家は取り壊されて更地になり、新しい建物が建てられるようだった。間口に比べて奥行きがあり、見かけより広い土地だった。ボケの木は引き抜かれ、残材になってしまったのかもしれない。

 年末になって、ボケの鉢植えをよく見たら、根元の葉はもちろん、落葉していたところにも小さな赤い芽を付けていた。再来年辺りにはあの深紅の花を咲かせるのだろうか。

 そういえば、もう十数年前も近所のアパートの一角に富士桜が植えられていた。富士桜は花の後に大量のサクランボを実らせた。小鳥が集まって来て啄んでいたが、道路に落ちる実も多かった。落ちたサクランボを拾って来て種を取り出して播種した。やがて発芽していまはベランダで鉢植えになっている。

 このアパートの富士桜もある日アパートが取り壊され、やはり切り倒されてしまった。でも大丈夫、やはり私のベランダで命を繋いでいるのだから。