平板のイントネーション

 毎日新聞の書評欄の「なつかしい1冊」のコラムに石山蓮華(俳優)が田辺聖子の『苺をつぶしながら』(講談社文庫)を挙げている(2024年1月6日朝刊)。

 

 私が発する「いちご」のイントネーションは変わっているらしい。この小説のタイトルを口にしようとすると、私はちょっと緊張し、一拍考えてしまう。

 一般的に関東では「ぶどう」と同じ平板のイントネーションで発音するが、物心ついた頃から「秩父」と同じ頭の上がるイントネーションが普通なのだと思っていた。指摘されるまで、人とのずれに気が付かないことはよくある。なかでも、話した途端に消えるイントネーションは、その瞬間に掴んでわざわざ確認しないとまず気付けない。

 

 私も石山蓮華と同様、「いちご」のアクセントは「い」に置いていた。でも「ラーメン」は平板なイントネーションになってしまう。「富士山」は「じ」にアクセントを置く。意識しないと「ラ」や「ふ」にアクセントを置くことができない。同郷の知人などは「ビール」も平板なアクセントになっている。「卵焼き」も平板に発音する。

 その平板なアクセントに関しては。藤井貞が『日本語と時間』(岩波新書)で、日本語の基盤にはアクセントがないと言っている。

 

 日本語の基盤ということを考えてみよう。言語のリズムならびにアクセント、イントネーションについて。まず、日本語にはアクセントがあるか、ないか。

 常識からすれば、現象上、関西アクセントと東京アクセントとの対立があるとか、強弱アクセントはなくても高低アクセントがあるとか、日常的な話題のレベルでならアクセントは大いに"ある"。しかし基層日本語においては、アクセントが"なかった"はずである。

 

 そうしてアクセント学者平山輝男作成のアクセント分布図が示される。それが下記の図だ。

 濃い部分は東京アクセント及びそれに類似するもの。

 薄い部分は京都アクセント及びそれに類似するもの。

 白い部分は一型アクセント。この白い部分は、(ア)関東北部から、福島県宮城県南部、山形県南部など、奥羽地方。(イ)静岡県大井川上流。(ウ)福井県福井平野地方。(エ)愛媛県大洲市。(オ)宮崎県、熊本県佐賀県長崎県五島列島へ、九州を横断。(カ)伊豆八丈島。というエリアだ。

 

厳密には無アクセントないし曖昧アクセント地域だと、地図の中の白い部分を言い換えてよかろう。(中略)

 平山地図で言えば、(ア)−(カ)はまさに日本社会の、適切な語かわからないが"山間僻地"や、盆地や、あるいは孤立した島嶼や、東北/九州などの、古層の日本語をわりあい残した地域に点在している。大井川上流や伊豆八丈島などは、地道な研究者たちの努力により、日本語の古層をよくのこした地域として知られるようになってきた。

 

 私は長野県南部の喬木村で生まれ育った。そこは(イ)静岡県大井川上流のさらに北に位置する。上記地図で中央の赤い点を付したところだ。中学のときに国語の教科書にイントネーションが紹介されていた。「たまごやき」という言葉に付されたアクセント記号に従って発音すると、私の地域のイントネーションとは全く違った結果になってショックを受けたことを憶えている。私の地域では「たまごやき」も「ラーメン」もすべて「ザード」のように平坦に発音するのだ。まさに無アクセント地域なのだ。

 その天竜川の流れる長野県の地域を伊那谷というが、伊那谷は日本語の古層を残した地域としても知られている。子どもの頃暴れることを「あらびる」と言っていたが、これは古語の「あらぶ、すさぶ」が残ったものだし、ジバチのことを「すがら」と呼んでいたが、これも蜂の古語「すがる」が訛ったものだろう。

 以前勤めていた会社の後輩が茨城県土浦市の出身で、言葉に私同様アクセントがなかった。伊那谷と土浦と離れているのになぜかと思っていたが、上記地図でどちらも白い部分に相当する。石山蓮華の出身地は埼玉県となっている。あるいは隣の茨城の影響が強いのかもしれない。

 藤井は最古の日本語が無アクセントであったばかりか、神社祭祀での祝詞の唱え方や、民間の古い宗教での祭文や経文の唱え方に残されているのではないかと推測し、短歌を棒読みしたりする一音一音の等時拍を太平洋諸語と共通すると推定する。さらに七五調の音数律はタミル語から来ているのではないかという大野晋の学説を紹介している。

 きわめて刺激的でおもしろい「文法」に関する本だった。