武田泰淳『政治家の文章』を読む

 武田泰淳『政治家の文章』(岩波新書)を読む。1960年初版発行、雑誌『世界』に連載したもの。取り上げられた政治家は、宇垣一成浜口雄幸芦田均荒木貞夫近衛文麿重光葵鳩山一郎徳田球一など。彼らの文章の一部を引いて論評を加えている。
 武田は「あとがき」でこの仕事を謙遜して書いている。

(……)ここに集められた文章は、特殊の時代の、特殊の一国の、特殊の政治家たちの文章である。これを「政治家たちの文章」という、一般的な呼び方で紹介するのは、遠慮しなければならないかもしれない。
 その特殊性が、どれほどはなはだしいものかについては、丸山真男氏のすぐれた研究があって、私には氏の精密な分析に何一つ新しく付け加える用意はない。
 陳列の品々に眩惑された、政治的幼児、すなわち私が、何かしら「しめくくり」めいたものを、この「よみもの」の後記として付け加えようとしても、すでにそれは、丸山氏の『現代政治の思想と行動』に、あますところなく解き明かされてしまっているのである。

 謙遜はしているものの、大筋そういうことだろう。しかし、政治家の生の文章を引くことによって、なかなか興味深いエピソードが語られる。
 とくに興味を惹いたのが、戦後A級戦犯として巣鴨監獄に収容された重光葵の『巣鴨日記』だ。その日記を武田が引用して紹介している。

 老人たちは、法廷への出入りのさい、毎日、朝と夕に丸裸にされて、検査される。生れたときと同一の、まるまるの裸にされることは、苦痛であるとともに、みじめすぎて滑稽の思いをさそったらしい。

 毎日、26名の老人の丸裸姿を見せられるのは、気持好きものに非ず。老人の裸形は形をなさず。只、悲哀を感ぜしむるのみ。これみな当年の権臣なり。
 化物の裸形列に家寒し
 老人の裸姿や野分け吹き
 MPと骸骨の行列に壁氷り

 一度でも何らかの権力をにぎったものが、あらゆる虚飾をはぎとられて、裸の本質をむき出すことは、つらいことである。人間は誰でも、自己の生存の実態をあからさまにしたがらない。他人に見せたくない面(と言うより、自分でも忘れていた動物性)を、いつもまにか見せねばならなくなっているという発見。これは、この世の弱者よりも、むしろ強者にとってショックであろう。

 重光は裁判にあたって悠々たる態度であった。しかし、各地からの証人により次々と暴露され、とどまることを知らない日本軍の残忍な行動に関する公判については少なからず動揺している。「醜態、耳を蔽はしむ。日本魂腐れるか」「その叙述、残虐を極む。嗚呼聖戦」「吾人をして面を蔽はしむ。日本人たるもの愧死すべし」「日本の名を汚すこと、これより甚だしきはなし。今次大戦の汚点なり」「日本人は確に堕落せり。明治以来の偏武政策の影響か」「ニューギニアに於ける、敵人虐殺、人肉料理、生体解剖等の書類提出さる。南方の地獄生活を想像せしむ」。
 そして重光は俳句を詠んでいる。

 冬の日に身ぶるひして聞く「武勇談」
 うらぶれし我「皇道」も寒いかな
 市谷の台も凍れと残虐談
 聞く人も狂せんとする歳の暮

 また、重光は

(同囚の)軍人が礼儀をわきまぬ点についても、たえず眉をしかめている。

 今日、遊歩の時に某大将は庭の真中の植木に向つて立小便をやつた。監視兵は余所を見た。

 水の節約が必要なのに、水道線をあけっぱなしにする。食糧不足で困っているくせに、便所にパンを捨てる。

日本人の非社会性は、巣鴨では遺憾なく陳列されて居る。(中略)水やパンの事だけではない。何をしても人を押しのけて我れ勝ちで、風呂に入るのもさうだ。共同に使ふ清い上り湯に自分の手拭を突つ込む位は平気で、共同風呂の中で鬚をそつたり、石鹸のついた頭を洗つたりして、監視兵に叱られる。(中略)廊下でもどこでも、煙草の吸いがらを捨てる。ツバキは到る処に吐く。遊歩の時に半裸体になつて妙な服装をするのはまだしも、庭の一隅に代り代り行つて直ぐ小便をする。監視兵の顔は、軽蔑の表情にみたされる。

 重光は木戸幸一トルストイの『戦争と平和』について語り合った。重光はナポレオンの捕虜となって連れ去られるロシア伯爵ピエールに共感をおぼえている。

 ピエールは、「どん底生活に落ちて過去の責任から解放せられ、何もかも失って裸」になった点では、A級戦犯に似ていたかしれない。しかしその時、ピエールの心と手は、ロシアの貧農の心と手に結びついていたのではなかったか。
 ミズリー艦の甲板に、隻脚で立ちすくんだ重光に、よりそっていたのは、「天皇の影」だけだったのではなかろうか。

 芦田均がロシアの優雅なレディーたちに、すごくもてたエピソードも何か微笑ましい。
 さて、近衛文麿の名前に「あやまろ」とルビが振ってあるのはなぜだろう。「ふみまろ」ではなかったか。


政治家の文章 (岩波新書)

政治家の文章 (岩波新書)