東京国立近代美術館の常設で見た興味深い作品

 東京国立近代美術館の常設展で興味深い作品を見た。とくにその解説が印象深かった。こんな風に解説してくれれば、作品がずっと身近になるだろう。

 津田青楓「犠牲者」1933年、油彩

この作品は、1933年(昭和8年)の小説家小林多喜二(1903−1933)の虐殺に触発されて描かれたものです。津田は、「十字架のキリスト像にも匹敵するようなものにしたいという希望を持つて、この作にとりかかつた」(『老画家の一生』)と記しています。拷問をうけ吊り下げられた男と、左下の窓を通して取り込まれた建設中の国会議事堂が対比されます。プロレタリア芸術運動への弾圧が激しさを増す中、津田自身も家宅捜索の後、一時拘留されました。《ブルジョア議会と民衆生活》は押収されましたが、幸いこの作は隠し通すことができました。


 厳培明(ヤン・ペイミン)「スーダンの少年」1998年、油彩

ヤンは、中国は上海の生まれ。現在はフランスのディジョンを拠点に制作しています。彼の作品の特徴は、大きな画面に、限られた色数と、太く力強い筆致で、人物を描くところにあります。この絵のモティーフは、アフリカのスーダンの少年。1956年に共和国として独立したスーダンですが、国内の南北間の紛争が絶えず、1998年当時は、第二次スーダン内戦(1983−2005)下にありました。ここに描かれているのが、いわゆる少年兵なのかどうかを判断する手がかりは画面内にはありません。しかし、この大きな画面いっぱいに描かれた少年が、匿名的な存在だからこそ、私たちは、悲劇的な戦争を生き延びることについて、深く思いを馳せることができるのだとも言えます。



 村上友晴「無題」1988−90年、油彩
(下の画像はその一部)

黒一色。しかし、なにもないわけではありません。少し焦点を変えれば、表面に無数の突起があることに気づくでしょう。そして、キャプションから、制作に長い時間がかかったことを知ったとき、「無数の突起」が、画家の「無数の行為」の集積であることに気づきます。黒く塗ったキャンバスの上に黒い絵具をひたすらに置いていく際の人間の心境とは、いったいどのようなものでしょうか。村上がクリスチャンであることが、考える手がかりとなるかもしれません。村上は、大学で日本画を学んだ後、展覧会出品のため訪れたアメリカで、抽象表現主義の作品を見て、10年ほど描けなくなります。そして、制作を再開してしばらく経った1979年に、カトリックの洗礼を受けました。