コレクションの行方

 美術品などの個人コレクターが増えているように思う。そんなコレクターたちの集まりもある。昨日も誘われて浅草近くの吾妻橋のギャラリー ア・ビアントへ『第8回「わの会」コレクション展』を見に行ってきた。34人のコレクターが60点の作品を出品している。コレクターといってもサラリーマン・コレクターが中心で大コレクターという訳ではない。この「わの会」のほかにも「美楽舎」とか「ワンピース倶楽部」とかさまざまなコレクターの会がある。ある会で、コレクションした作品を将来どうしたらいいかという話になった。
 自分たちのコレクションをできればそのまま残したい。個人美術館ができれば最高だがという。気まぐれ美術館の洲之内徹コレクションのようにそのままセットで公立美術館へ納められても良い。子どもたちが興味を持っていないのでコレクションが将来散逸するのではないか。
 2年ほど前、ギャラリー川船で「S氏コレクション売立展」が開かれた。そのことをブログに紹介したことがあった。

 主に近代美術のコレクターであったS氏が、もうご自身の高齢のためコレクションを手放すのだという。数十点並べられたコレクションは、みな品のいいものばかりだ。特に高額なものは少ないが、長谷川利行三岸好太郎なども並んでいる。それが驚くほど安いのだ。(中略)
 このようにコレクターのコレクションが市場に出ることは良いことだと思う。どんなに良いコレクションでも所詮はプライベートコレクションだ。まとめて美術館に入れるほどのものではない。「気まぐれ美術館」の洲之内徹コレクションだって、エッセイで有名でなかったらまとめて見せるほどの意味があるだろうか。T画廊のN氏のように、美術館は作品の墓場だ、市場に出てこそ作品は生きている、という主張はいささか極論だが、個人のコレクションはまず市場に出て、それらのうちの数少ない名品が美術館に収蔵されるのが理想だろう。

 ここに書いたように、コレクターが年を取ったり、また亡くなったりしたときは、そのコレクションは市場に出すべきだと思っている。そうすれば作品はまた好きな人に渡っていくだろう。死蔵された作品は不幸だと思う。
 私はコレクターではないが、それでも数十点の作品を所蔵している。私の娘は美術作品に興味がないという。興味がなくてかまわないから、父さんが死んだときはコレクションは捨てないで売るように言ってある。市場に返せば作品は好きな人の手に渡っていくだろう。


ギャラリー川船の「S氏コレクション売立展」(2010年9月23日)