金井美恵子の新刊エッセイ「猫の一年」が滅法面白い

 お前の好きな作家は誰かなんて誰にも聞かれないが、好きな作家は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レム、イギリスのスパイ小説作家ジョン・ル・カレ、それに日本の大江健三郎金井美恵子だ。レムは一昨年だったか亡くなってしまったが、真にノーベル文学賞を与えるべき作家だった。次に候補にされるべきなのがル・カレなのだ。SFやスパイ小説に偏見を持ってはいけない。たしかにこのジャンルはクズが多いのも事実なのだが。
 先日銀座の村越画廊へ金井美恵子の姉の金井久美子展を見に行ったら、金井美恵子の新刊エッセイ「猫の一年」(文藝春秋)が並べられていて、即座に買い即座に読んだ。これがいつもながら滅法面白かった。
 金井は文壇でも車谷長吉とどっちかと言うほどの毒舌家で、突然高価な毛皮のコートが代引きで送られてきたり、注文もしてない寿司が届いたりと何度も嫌がらせを受けているようだ。これだけ毒舌を吐けばそんなこともされるだろうと納得できるほどの過激さなのだ。車谷も外出するときは防弾チョッキを着ているという。
「猫の一年」は2006年のワールドカップの年から「別冊文藝春秋」に連載が始められて、4年後の2010年まで書き続けられた。成猫の1年が人間の3、4年に相当することから、このタイトルのようだ。金井はトラーという名の猫を飼っていて、その猫が2年前に18歳で死んでしまった。このエッセイはトラーの死ぬ1年前から書き始められている。
「猫の一年」から金井美恵子の毒舌の一端を、

 もともと文章の下品な卑しさ加減で知られているとはいえ、『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝が「僕は、身体能力および男の価値の品評会、あるいは全世界精子見本市、だと思って見ていたのだが、あの日本代表"サムライ・ブルー"を見た世界の女性は、今後しばらくは日本男性には見向きもしないでしょうね。我々日本人の中で、もっとも身体能力が優れた、選ばれしエリート23人でこれ?」と声に出して読むのはもとより、書き写すのもいやな日本語で書くのと、……

 サッカーの中田英寿の引退に際して、中田は天才で世界のスターだと熱く語る村上龍金子達仁川端裕人を金井はあざ笑う。毒舌ではあるが、金井の方に部があるだろう。

 あれは確か夏休みも終りに近づく8月の末頃のことで、その番組を見たことは一度もないし、あの、何とも甘ったれたようなゴーマンのような、どこかに、とんでいるような、宮下輝と山下清が野合したかのような無気味な喋り方をするいわゆる「欽ちゃん」という芸人−−あの気味悪さは、実はとてつもない狂気を持っているが故なのだ、と30何年か前に主張していた知人がいたものだったが−−を私はとても嫌いなのだけれど、……

沢田研二は)デビュー当時から、変テコなみっともない衣装をつけて変テコな歌詞と野暮ったい振りつけで、ポップスというより阿波踊りなのだった。短足で、と、私は思うのだが、そうではなく本気のアコガレをこめて「団塊世代トップランナーとして走り続け(中略)ある時代を築き上げた」と、ジュリーのファンを自認するねじめ正一は書いている。

ついでに(『風邪にのってきたメアリー・ポピンズ』と)傾向が似ているので、イギリスの国民的ユーモア作家と称されるウッドハウスの、ナントカという自家の農園で育てているカボチャ(イモではない)と豚にしか興味のない田舎貴族の登場する小説(文藝春秋国書刊行会から翻訳のシリーズが出ているくらいだから、日本でも人気作家らしい)を読んでしまったのだったが、このエリザベス女王の母堂が愛読するという小説の読後感は、やはり半世紀以前、新潮社で上梓していたヘンリー・ミラー全集の中の一冊『わが読書』に出て来る『ボートの三人男』についての意見と同じで、子供の頃にはあんなに面白かったのに、読みかえしたら、実にくだらない唾棄すべき愚作、というジャンルの小説である。王族のバアサンと同じ小説を面白いと思えるはずがないのだ。『ボートの三人男』はミラーの批評的エッセイを読んでからずっと後に、丸谷才一訳の中公文庫で読んだけれど、丸谷才一近代文学の成立するための条件として挙げる、「成熟した市民社会」というものが実にギマン的で幼児的自己中心的なものであるかがよくわかるグロテスクなものであった。

古くは、といっても現在もテレビのドラマやコマーシャルに実年齢や見た目よりずっと若い設定で登場してはいるのだが、阪妻の息子である田村正和は、莢の中での育ちが良くないくすんだ肌色で痩せたソラ豆のような顔といい、細身(スリム)な体というと聞えがいいのだが、ソラ豆顔にとってさえ、バランスの悪い貧弱な体(しわがれて聞きとりにくい声も美声とはいい難い)のスターである。日本のテレビを中心にしてその支持者が女性たちと考えられている男性スターは、なぜか田村正和沢田研二だけでなく、系列(ライン)として木村拓哉につらなるイモ系が好まれるのではあるまいか。

この時代、アメリカのフォークと言えばボブ・ディランだが、日本では間抜顔の若者マイク真木の『バラが咲いた』なのだから、……

一息するためにお茶を飲みに立ったら居間のテレビに、一家そろって伝統的に顔のデカクて長い中村勘太郎('09年7月、歌舞伎座で見た『天守物語』の亀姫のなんともゴツイこと)の結婚式の映像が映っていて、アンチエイジング整形のせいですっかりゾンビ顔の郷ひろみが若作りステップでチョロチョロと会場を満面の虚ろな笑みで歩行していて、ああ、老いを不条理な悪として恐怖すると、こういうゾンビ顔になるのかなあ、と見世物を見る思いで渋茶をすすったのだった。

 金井美恵子の文章は長いことが特徴だ。私の憧れる文体だ。以前、トラーが亡くなるときのことを書いた金井の文章を紹介したことがあった。
名文とは何か(2009年6月18日)

猫の一年

猫の一年