思い出す人々(3)S印刷工業の松原さん

 エッソという石油会社が「エナジー」というPR誌を発行していた。評価の高かったこの雑誌の編集長が高田宏だった。高田のエッセイに、印刷会社の営業マンが校正記号を知らなくて苦労したと書かれていた。その営業マンは松原さんと言った。松原さんがかつて「エナジー」の編集部に日参し、印刷の仕事をもらうことができたと語ってくれたことがあった。初めて原稿をもらった時、その場で大量の原稿にすべて目を通して、高田さんからこんな人は初めてだと誉められたと自慢していた。
 私が編集プロダクションに入社した時、最初に取引先の印刷会社の営業担当を紹介された。それが松原さんだった。それまで何も知らなかった私が印刷に関することはほとんどこの人から教わった。当時の社長も松原さんは営業マンの鑑だと言っていた。とにかく仕事熱心だった。
 その松原さんにも弱点があった。女性デザイナーたちから陰で白豚とあだ名されていた。そのとおり好色だった。髪の長い女性が好きなのよと、女性デザイナーの1人から教わった。さりげなく長い髪を触ってくる。松原さんの部下からも、ソープを梯子するんですよ、信じられますかと言う。普通信じられないけれど、松原さんならそうかもしれない。
 印刷の技術に関しては深い知識を持っていたが、出版に関する知識はほとんどなかった。松原さんはずっと商印(商業印刷)の世界を歩いてきた人なのだ。それは同じ出版でも出版印刷とは別の世界だ。
 ある時、こんな本を作ったのですよと自慢げに見せてくれたものがあった。ゴルフ場を紹介する本だった。厚さが数センチあるのに、ページ数は100ページに満たない。クイズの答えは本文が絵本より厚い紙でできているのだ。ひどいものだ。金だけはかかっているだろう。
 松原さんはこの印刷会社の部長にまでなった。ただ主流の印刷部門ではなかったが。最初の子供が生まれたとき、赤ん坊の写真を皆に見せてまわっていたことが印象に残っている。一度も会ったことはなかったが、あの子ももう37歳になるんだ!