美術評論家の上手な表現

 少し前のことだが、すごく下手な油彩画展を見た。そのDMハガキに美術評論家Y.S.さんが推薦文を書いていた。こんな下手な画家についてどう書いているのか興味を持った。推薦文は面白かった。そのタイトルが「原点回帰への人体裸婦像」、評論家としてのプライドから誉めるわけにはいかないし、頼まれたから貶すわけにもいかない。

 古来、人類は自分達人間の持つ肉体の美に魅了され、これを裸体裸婦像として絵画や彫刻に造形してきた。この裸婦表現は、古代ギリシアに於いて理想的な人体美の極みに達し、その後のルネッサンス以降現代に至るまで、多くの裸体裸婦像が制作された。
 裸体裸婦のみならず、画家が所謂良い絵を描くためには幾つかの要件がある。例えば優れた先人、巨匠の作品を多数見る事、碩学の評論、批評を読み聞くことも大切な事であろう。

 と、一般論を述べる。そして作家論に入る。

 画家××××は平素よりこれを実践し、その研究熱心さは私達の知るところではある。しかし、より直接的な画技向上のためには、対象把握と描写力、画面構成や色彩の法といった基本的な技術の修練が必要である。この修練のために、裸体裸婦は最適なモチーフと言える。
 かつてギリシア神話を題材に制作した画家は、今後もこれをテーマとしてゆくと言う。そのために基礎的な技術力アップの重要性を再認識し、今回人体裸婦を中心とした展覧会を開くに至った。克服すべき課題を残しつつも、制作の原点に立ち帰り、技術向上に取り組む姿勢は評価に価する。新たな第一歩となる意義ある発表に称賛を贈りつつ、今後の作品に期待を寄せるものとする。

 しかし、画家に対して評価しているのは「その研究熱心さ」だ。同時にさりげなく「基本的な技術の修練が必要である」と書いている。要するに下手だということだ。そのすぐ後で、「この修練のために、裸体裸婦は最適なモチーフと言える」と一般論に戻ってみせて批判の矛先にベールをかけている。でもやはり「克服すべき課題を残し」と指摘し、最後に「今後の作品に期待を寄せるものとする」と書いて「今後の作品に期待する」とは書かないのだ。
 推薦文を頼まれて、この評論家も困ったのだろうなあ。でも批判を微妙に曖昧に書いているから、画家も真意が理解できずに推薦文として採用したのだろう。