早坂暁「公園通りの猫たち」を読んで


夢千代日記」などの脚本を書いている早坂暁の「公園通りの猫たち」(ネスコ)を読む。これが大変面白く、また猫の生態についても知らなかったことを教えられた。公園通りとは東京渋谷のNHKに続いている通りのことだ。
 まず猫の喧嘩の実態が詳しく語られている。

「グオオオオ……」/低い凄い唸り声に、ファッション・モデルの千代紙さんは目を醒ました。窓はまだ白みはじめたばかり。/「グオオオオ……」/ベランダのあたりで、別の唸り声がしている。(中略)唸り声はだんだん凄味をおびてくる。(中略)白々と明るくなりはじめている中で、ボス猫の太郎と迷い猫で定住をはじめた虎丸とが、ベランダの両端に分かれてにらみ合っているのだ。(中略)「いつもと、ちがうわ……」/と千代紙さんは思った。(中略)猫が恐がる時は耳をすっかり伏せてしまうのだ。ところが、ベランダで向い合っている太郎と虎丸は、耳の裏を見せている。(中略)さて、千代紙さんのいう耳の裏が見えるというのはどんなことか。耳が横を向くのだ。横を向くが完全に伏せていないので、前から見ると耳の裏側が見えるのである。/これは双肌(もろはだ)脱いで、刺青を見せたのと同じだ。「さあ、来やァがれ!」というわけ。(中略)
 太郎と虎丸は声で威嚇しながら、ほんの少しずつ間合いを詰めてゆく。その間合いの詰め方は、超スローモーで、歌舞伎のダンマリに似ているのだ。(中略)やっと二匹の間合いが2メートルを切った。/すると太郎が頭を片方にかしげた。目を虎丸から離さず、しきりに頭をかしげてみせるのだ。/こんどは虎丸が同じ動作をしてみせる。/これは、「こうやって咬みつくんだぞ、いいか」と脅しているのだそうである。/まるで鏡の前で演じているように、太郎と虎丸は同じような動作をくりかえし、やがて時が止まったように二匹は膠着してしまった。(中略)
「ギャーッ!」/太郎が跳んだ。虎丸の頭めがけて咬みついた。一瞬に虎丸は前脚で太郎の頭を叩き、身をかわしてから、逆に太郎の頭に咬みついた。太郎は前足で虎丸をつかまえると、一番力のある後足で強烈なキックをする。/「ギャーッ!」/二匹は跳びはなれた。太郎が勝ったのかと思ったら、なんと太郎の耳が裂けて鮮血がほとばしっている。虎丸が太郎の耳を咬みちぎったのだ。(中略)
 二匹はまた激突し、咬み合い、蹴とばし合い、お互いの毛を空中に舞い上げた。そしてどちらのものとは知れぬ血がベランダに散る。(中略)
(千代紙さんが二匹に向かって水をぶっかけた。)
 水を浴びた一匹が、ベランダから跳んだ。すぐ近くに立っている欅に跳んだのである。跳んだほうは、太郎であった。すぐに虎丸が追った。太郎はすべり落ちるようにして、下の空き地へ逃げた。(中略)
 逃げる太郎など、一度だって見たことはなかった。/下の空き地で、また二匹は激突した。しかし、その激突はすぐに終わった。/上からのぞいてみると、太郎ボスは血だらけの耳を伏せて地面に横たわっている。(中略)太郎は完全に降伏のポーズをとっているのだ。/虎丸は、そうして太郎に二度と襲いかかることはなかった。そのかわり、不思議な動作をはじめた。/地面を夢中になって嗅ぎまわるのだ。
 ーーまるでマタタビがそこに埋まっているみたいだったわ。/千代紙さんの報告のなかで、そこの部分が一番判りにくいところだった。あとで犬猫病院の院長に聞いてみると、それは、勝利の儀式なんだそうである。/勝者のボクサーが右腕を高く突きあげてみせるように、勝者の猫は地面に鼻を激しくこすりつけることで、勝利を宣言する。(中略)すでに太陽は東の空にあがっている。1時間半もの死闘だった。

 この「公園通りの猫たち」は講談社から単行本と文庫が、ネスコから単行本が、最近は勉誠出版からも単行本が再刊された。
 本書の続編が「嫁ぐ猫」(ネスコ)で、副題が「公園通りの猫たち、それから」だ。こちらに収録されている「アマテラス最後の旅」は感動的で、以前ここでも紹介したことがあった。
村松友視「アブサン物語」を読む、その他早坂暁の名文(2008年2月27日)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)

公園通りの猫たち (早坂暁コレクション)