洲之内徹の顔のこと

 数年前、いまはもうない現代美術専門の画廊で野見山暁治展があった。小さなオブジェ展で、普通の個展には出さないような作品の展覧会だった。そんなことで値段は大変安かった。老嬢という感じの画廊主に、安いですねと声をかけた。彼女はおそらく、野見山暁治の作品にこんなに安い値付けをして他の画廊からクレームを付けられるのではないかと心配していたのではないかと、後から思ったのだが、安いですねとの私の言葉に対して、他の画廊が文句を言ってきても私はこう見えても現代画廊の女ですから、と言い放った。
 彼女は何を気張っているのだろうと考えて、上記のクレームを心配していたのだろうと思い至った。しかし分からなかったのが、「現代画廊の女」という言葉だった。確かに彼女は「気まぐれ美術館」のエッセイで有名な洲之内徹の現代画廊で働いていた。それなら「私は現代画廊で働いていた女ですから」というのが自然ではないだろうか。現代画廊の女って何を意味しているのだろうと不思議だった。
 そのことを最近ある美術コレクターに話したら、洲之内徹は現代画廊で働く女性にたいてい手を付けていたのだよと教えてくれた。奥さん以外にも付き合っている女性は数多くいて、現在横須賀市立美術館の学芸員の原田さんも非嫡子であることは公然だし、「気まぐれ美術館」にも人妻と浮気をしていることがあからさまに書かれている。70歳頃になっても子どもを作っていることを書いている。
 そうした事を知ったあとで、洲之内徹の顔を見ると決して良い顔の人ではない。嫌な顔だと思う。人格に問題のあった人ではなかったか。父さん、麻生さんとか洲之内さんとか、人の顔のこと言える立場なの? と娘に言われるかも知れないが。