JINENギャラリーの川上春奈展を見る

 東京日本橋小伝馬町のJINENギャラリーで川上春奈展「穴掘る私と」が開かれている(9月11日まで)。川上は1997年愛知県生まれ、2020年に京都藝術大学(旧京都造形芸術大学)総合造形コースを卒業している。在学中に車両系建設機械運転免許を取得している。

 川上は日本各地で穴を掘っている。スコップを使って手彫りしたり、免許を取得した重機を使って穴を掘る。自分の身長が隠れるくらいの深い穴を掘ることもある。そして掘った穴は元通り埋め戻す。



 穴は私有地に掘る。まずその土地の所有者の許可を得る。ついで地方自治体の条例や法令を確認する。その他さまざまな手続きを踏んでようやく穴を掘る。

 穴を掘ることに特段の意味はない。好きだからという。ギャラリーには2面の動画が上映されている。スコップで手彫りしているものと重機を使っているものだ。そのほか、現地で撮影したたくさんのスナップ写真が展示されている。

 川上はこれをアートとしては考えてはいないという。しかし川上が何を考えていようと、これは素晴らしいアート作品だ。重機の免許を取ってまで全国各地に穴を掘りに出かけ、またそれを埋め戻して帰ってくる。それは無償だが決して無意味ではない。優れたパフォーマンスだと思う。

 こんなところから新しい作家、新しいアートが生まれるのだ。

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川上春奈展「穴掘る私と」

2022年9月6日(火)―9月11日(日)

12:00-19:00(金曜日20:00まで)

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JINENギャラリー

東京都中央区日本橋小伝馬町7-8 久保ビル3F

電話03-5614-0976

http://www.jinen-gallery.com

 

 

発想はどこから来るか

 横尾忠則『創造&老年』(SBクリエイティブ)に次のような横尾の発言がある。

 

 あのね、直感が浮かんできたりすることがあるじゃないですか? 普段の自分では想像もできないような面白いことや不思議なことが、ある時突然、浮かんでくる。それはどこから来るかといえば、結局、自分の体の中からなんです。外から情報として仕入れた知識なんて、大したものではないのです。百年近く生きたからといって、その間に手に入れることができる知識なんて、たぶんチョボチョボですよ。そんなものに頼るよりも、初めから自分の中にあるもの、あるいは自然や宇宙に遍在している力を自分の体をツールとして受け取り、それを実践すればいい。そのために直観を受信しやすい身体の状態が必要でしょうね。論理や理屈や思考から離れて、孤独になることも必要じゃないかと思います。

 しかし、そういう感覚は、学校では教えてくれないものです。

 

 これを読んで思い出したことがある。以前読んだ信原幸弘『考える脳・考えない脳』(講談社現代新書)に、脳は反射を蓄積するだけで考えないとあった。考えるのは3つの条件の場合だけ。人と対話するとき、文章を書くとき、自問自答するときだ。例えば計算するときも紙に書くか頭の中で数字やソロバンを思い浮かべている。意識的に考えないと脳は考えないのだ。ただ反射によってデータを蓄積する。蓄積したデータが、意識化されない脳の中で整理されて、横尾の言う「普段の自分では想像もできないような面白いことや不思議なことが、ある時突然、浮かんでくる」ことになる。「外から情報として仕入れた知識なんて、大したものではない」のではなく、それらのデータが脳の奥で発酵されて出てきているのだ。

 私は30年以上毎年2,000件の個展を見てきた。すると、それらのデータが蓄積されて、現在の生意気な私の意見が生まれてきたと考えられる。データの蓄積が大事なのだ。

 

 

 

コバヤシ画廊の作田美智子展を見る

DM葉書

 東京銀座のコバヤシ画廊で作田美智子「斜影」が開かれている(9月10日まで)。作田は2005年に女子美術大学芸術学部工芸学科ガラスコースを卒業し、2007年に東京藝術大学大学院美術研究科ガラス造形研究室を修了している。今回が初個展となる。

 作田はガラスのオブジェを作っている。画廊の正面に大きな作品が展示されている。重さを問うと100キロもあるという。こんなに大きいガラスのオブジェを見たのは初めてだった。重量同様、その存在感が見事だ。小手先の造形に頼ることなく、ガラスそのものを「存在」と呼ぶほかない形に仕上げている。その造形には媚がなく、むしろぶっきらぼうと言い得るような気持ちよい作品だった。

重量100kgの大作

同上


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作田美智子展「斜影」

2022年9月5日(月)―9月10日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

 

 

村上慧『家をせおって歩く(かんぜん版)』を読む

 村上慧『家をせおって歩く(かんぜん版)』(福音館書店)を読む。福音館の発行する『月刊たくさんのふしぎ』という小学生向けの雑誌として刊行されたものを改訂・増補した「かんぜん版」。絵本の体裁をとっている。作者は1988年生まれ、武蔵野美術大学建築科を卒業している。

 2014年4月から自作した発泡スチロールの家を使って生活を始める。家の大きさは120m×80cm、高さ150cm、床にキャンプ用のマットを敷き寝袋で泊まる。屋根もドアも発砲スチロール製、神棚も郵便受けもある。衣類を始め、日常品をリュックに入れて持ち歩いていて、家とリュックを合わせた重さは25キロくらい。この家を背負って東京から東北~日本海~富山~大阪まで歩いている。



 ただ、泊まるために家を置く場所は、公園や道路には勝手に置くことができないので、お寺や神社やお店などに毎回交渉して置かせてもらっている。

 村上は毎回家を置いた場所を写真に撮っていて、それが本書にも紹介されている。持ち歩いている品の中に耳栓があって、なぜと思ったら屋外で虫の声がうるさいことがあるという。トイレとお風呂も毎回探さなければならないが、手ぶらで知らない町を歩くのはわくわくしますという。食べ物は基本的にコンビニやお弁当屋さんで買う。空の500mlペットボトルは緊急トイレ用。

 各地で家の絵を描いている。日本ばかりではなく、スウェーデンにも行っているが、さすがに家は運べなくて現地で新しい家を制作した。日本と違って町中で使えるトイレが少なかったそうだ。韓国へも行ったが、この時はフェリーで運んでもらった。家の運賃として1000円支払った。

 村上は別の本『家をせおって歩いた』(夕書房)でこの間の日記を公開している。それも読んでみよう。

 

 

 

東京国立近代美術館のゲルハルト・リヒター展を見る

 東京国立近代美術館ゲルハルト・リヒター展を見る。リヒターは「ドイツが生んだ現代で最も重要な画家」(東京国立近代美術館のちらし)と言われている。1932年ドイツのドレスデンで生まれた。第2次世界大戦の結果ドレスデン東ドイツになる。リヒターは1961年西ドイツのデュッセルドルフに移住。最初、雑誌や新聞記事の写真を油絵に描き起こすフォト・ペインティングを描き、ついでカラー・チャートを再現したような作品、キャンバス全体を灰色で塗ったグレー・ペインティング、様々な色を塗り重ねた抽象画、透明なガラスだけの立体作品などを作る。

 フォト・ペインティングは新聞や雑誌などのニュース写真や自分のプライベートな写真から油彩に描き起こしている。リアルに描くのではなく、一部を塗りつぶしたりしている。会場に「8人の女性見習看護師」と題されたフォト・ペインティングの作品が展示されていた。シカゴの看護学生寮で突然押し入った男に惨殺された看護学生たちの生前写真を描き写したものだという。ほかにトルソとかモーターボートで遊ぶ家族を描いたものなどもあり、私にはいずれもつまらなかった。

8人の女性見習看護師

モーターボート

トルソ

頭蓋骨


 一番つまらなかったのはカラーチャートのシリーズやストリップと題された色彩の縞模様を描き込んだ左右10メートルの作品。グレイの縞模様の作品もつまらなかった。

ストリップ

ストリップ(部分)


 一方、特異なのはガラス板の作品。何も描かれていない素通しのガラス板が8枚固定された「8枚のガラス」という作品。ほかにも単なる鏡を設置しただけの作品もある。

 ガラスの作品と言えば、デュシャンの「大ダラス」を思い出す。デュシャンはその作品に謎めいた図像をはめ込め現代美術で最も評価の高い作品とした。また男性用便器や瓶乾燥機など既成の品物を作品として展示するなど、コンセプチュアル・アートを創出した。リヒターのガラスの作品はデュシャンの「大ガラス」へのリスペクトなのだろう。

8枚のガラス


 圧巻だったのはアブストラクト・ペインティングのシリーズ。今回の目玉は「ビルケナウ」という4点の連作。ビルケナウはナチのユダヤ強制収容所の名前。しかしそのタイトルの作品4点は抽象画だ。東京国立近代美術館のちらしによると、

 

見た目は抽象画ですが、その下層には、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りした写真を描き写したイメージが隠れています。

 

 

 隠されているもの考える必要はないだろう。単なる抽象画として見ればいい。その抽象画としての完成度は極めて高いと思う。リヒターの真骨頂ではないか。

ビルケナウ

ビルケナウ

ビルケナウ


 思うにドイツ現代美術の巨匠としては、リヒターとアンゼルム・キーファーがいる。リヒターが抽象的または概念的な作品を作るのに対して、キーファーは社会性をもった具象的な絵や彫刻を作っている。リヒターがデュシャンの系譜を引くとするなら、キーファーは社会性をもったヨーゼフ・ボイスの系譜と位置づけられるのではないか。リヒターの画業に感嘆しつつも私はキーファーに与するものである。それにしてもリヒターの作品は高価だ。2年前にポーラ美術館が購入したアブストラクトは30億円もしたという。生前このような高値を得た画家は他にいるだろうか。作品の価格が直接作品の評価を表しているのではないけれど。

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ゲルハルト・リヒター

2022年6月7日(木)―10月2日(日)

10:00-17:00(金土は20:00まで)

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東京国立近代美術館

東京都千代田区北の丸公園3-1

ハローダイヤル:050-5541-8600

http://richter.exhibit.jp/