諏訪兼位『岩石はどうしてできたか』を読む

 諏訪兼位『岩石はどうしてできたか』(岩波科学ライブラリー)を読む。諏訪は名古屋大学名誉教授でありながら歌人でもあり、朝日歌壇に何度も選出され歌集も発行しているという。先月亡くなったと新聞の訃報欄で見て、岩石に関する著書も読んでみたいと手に取った。岩波科学ライブラリーは初心者にも分かりやすい科学の入門書という印象だったが・・・
 表紙に諏訪の短歌が印刷されている。

秋深き奥飛騨の谷の片麻岩イギリスの友とハンマーをふるう

 ところが本書の内容は難しい。「おわりに」に諏訪が書いている。「歴史的視点をベースにした岩石学の本を執筆してほしい」とフリーの編集者から声をかけられた、と。ところが本書は岩石学の研究史なのだった。世界の数多くの岩石学者たちの研究が紹介されている。岩石に関する専門用語が並べられている。本文の一部を紹介する。

 飛騨片麻岩帯には不定形の網状ないし脈状でペグマタイト質の小規模岩体がある。灰色花崗岩と伊西輝石モンゾニ岩である。灰色花崗岩は西部岩体域に分布し、伊西輝石モンゾニ岩は東部岩体域に分布する。両岩については、小林英夫、佐藤信次、野沢保、相馬恒雄らが精力的に調査・研究した。相馬は、灰色花崗岩ははじめ、上部角閃岩相ないしグラニュライト相の条件下で変性作用を受け、のちに緑色片岩相程度の後退変成作用を受けた岩石であると主張した。

 こんな調子なので140ページ未満の薄い本なのに読み終わるのに5日間もかかってしまった。諏訪は絵を描くのも好きなようで、54名の研究者の肖像画を掲載している。みな肖像写真をもとに描いているというが、1点だけ小磯良平の油彩画から描き起こしたというのがあった。なるほど、デッサンの違いが歴然だった。
 「はじめに」と最終章の末尾に諏訪の短歌が置かれている。

鉱物は群れてひとつの岩つくる賀川豊彦が愛でし岩石学

落雷で裂け爆ぜし樹の写真添えし師のアメリカ便り師の死後にとどく

 また、たまたま今日の朝日新聞の朝日歌壇に諏訪の短歌が永田和宏と高野公彦によって選ばれていた(3月29日付)。永田は「諏訪兼位さんが急逝された。地球科学者としての業績のほかに、科学をベースに多くの佳歌を遺された。『科学を短歌によむ』という著書もある。ご冥福を祈りたい」と書き、高野は「91歳で亡くなった作者の最後の作か」と書いている。

「辛」くとも「一(ひと)」ふんばりで「幸」になる励ましくれし恩師ありたり    (名古屋市)諏訪兼位

 

 

 

岩石はどうしてできたか (岩波科学ライブラリー)

岩石はどうしてできたか (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:諏訪 兼位
  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

東京都美術館の「人人展」を見る

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 東京上野公園の東京都美術館で「人人展」が開かれた(3月27日まで)。今回が第44階で、3月一杯の会期の予定だったが、コロナ騒ぎで会期が短縮されてしまった。私は見ることができたので、知人の作品ほかを紹介する。なお参加作家は34人になる。

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内藤瑤子

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大野泰雄

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大野俊治

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山崎克己

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古茂田杏子:何度もブログに紹介している

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亀井三千代:春画にも似た妖しい作品を描いている

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田端麻子:昔から個展を見てきて何度もブログに紹介している

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林晃久&マロン・フラヌ―ル:マロンは女装したときの作家名

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成田朱希

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吉田佑子

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 同じメンバーで、湯島の羽黒洞で「小さな人人展」が開かれている。こちらはちゃんと3月31日まで)。
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「小さな人人展」
2020年3月25日(水)―3月31日(火)
11:00-18:30(最終日15:00まで)会期中無休
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羽黒洞
東京都文京区湯島4-6-11 湯島ハイタウン2F
電話03-3815-0431
http://www.hagurodo.jp

 

上野の森美術館のVOCA展2020を見る

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 東京上野公園の上野の森美術館VOCA展2020が開かれていた(3月27日まで)。本来の会期は3月30日までだったが、コロナ騒ぎで会期短縮で終わってしまった。幸い見る事ができたので受賞作品と気になった作品を紹介する。

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黒宮菜菜【VOCA佳作賞】

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Nerhol(田中義久・飯田竜太のユニット)【VOCA賞】:このネルホルは以前ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションのグループ展で見てブログに紹介したがよく分からない

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浅野友理子【大原美術館賞】:ヴァギナみたい(いけないオヤジ)

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菅実花【VOCA奨励賞】:写実は苦手なのでその良否が分からない。肌がつるつるしていてラブドールを連想した(また、いけないオヤジ)

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諏訪未知:諏訪直樹の娘さんか

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多田さやか:ブログで何度か紹介した

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立原真理子:ブログで何度か紹介した。網戸に刺繍している。インスタレーションを発表することが多いので、平面に限るVOCA展では少し不利かもしれない

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山拓

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木村宙:子供のTシャツに標的が付いている。木村は元自衛官

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山本努

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李晶玉:eitoeikoで見てブログに紹介したことがある。朝鮮大学校出身で興味深い作品を作っている

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高山夏希

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宮本華子【VOCA佳作賞】


 33人の作家たちが選ばれている。過去を振り返ると大きな賞を受賞した作家が必ずしもその後大成しているわけではない。以前VOCA賞に関して、大賞は寅さんが受賞すると書いたことがあった。VOCA展は選ばれることに意味があると思う。
・VOCA賞の大賞に寅さんが選ばれるわけ
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20070430/1177887660
     ・
VOCA賞展2020
2020年3月12日(木)―3月27日(金)
10:00-18:00(会期中無休)
     ・
上野の森美術館
東京都台東区上野公園1-2
電話03-3833-4191
http://www.ueno-mori.org/

 

 

加藤典洋『僕が批評家になったわけ』を読む

 加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波現代文庫)を読む。「批評とは何か」を考えて本書を書いたという。批評には文芸批評という狭義の批評と、評論という広義の批評があるという。この辺からもうよく分からない。
 加藤は初期に『文藝』という雑誌から新刊書の書評を依頼された。最初に村上春樹羊をめぐる冒険』を取り上げ、2回目は村上龍、3回目は柄谷行人『隠喩としての建築』を選んだ。その柄谷の著書にはおびただしい思想家、哲学者の名、引用などが出てくる。加藤はこれらを何も勉強しないで批評することが可能なのかと考えて異常な不安に襲われる。何日か不安な夜を過ごした後で、次のように考えて心が落ち着いた。「批評というものが、学問とはとことん違い、本を100冊読んでいる人間と本を1冊も読んでいない人間とが、ある問題を前にして、自分の思考の力というものだけを頼りに五分五分の勝負をできる、そういうものなら、これはなかなか面白い」。そして、「批評とは、本を1冊も読んでいなくても、100冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ」と。
 この考えは後半でも変わっていないとされる。それは正しいだろうか。
 私の多少なりとも知っている美術批評の世界に限れば、ほとんど絵を見たことがない、あるいはせいぜい時に有名な美術展しか見ていない人と、美術批評家とでは全く勝負にならないだろう。以前、東京造形大学の学生の絵を慶応義塾大学の学生が論評するという企画が立てられたことがある。中村宏が23歳で美術史に残る傑作『砂川五番』を描いたように、若い画家が高い水準の絵を描くことは不思議ではない。若い画家といってもおそらく小さい頃から絵が好きで、美大に入る前から何年も絵を描いていることが多いだろう。翻って優秀な大学生でも、それが文学部などの学生であれば、絵について真剣に考えたことはあまりないのではないか。先の企画で、慶応の学生の「評論」はお粗末なものであった。言葉を選ぶことはできる。文章を飾ることもできる。しかし、絵の見方は先天的には分からない。絵を語るにはまず絵の地図が必要だ。絵の地図とは美術史であり、そこに繰り広げられた美術の流派、主義のことだ。美術の思想だ。ルネサンスがあり、マニエリスムがあり、ロココバロック、古典派、印象主義、ポスト印象派、フォーヴ、キュビスムシュールレアリスム等々。そして戦後の美術運動がある。君が論評しようとしている若い画家は、どんな美術運動の影響を受けてこれを描いているのか? その技術の巧拙は? 彼の思想は? 美術評論家ならそれらを知っている。若い画家が全く新しいことを始めたのか、それとも〇〇派の方法をなぞっているだけなのか、古い技法を刷新して新しい絵画を生み出しているのか。
 私には加藤典洋柄谷行人をうまく論評できたとは思えない。昔、サルトルが来日した折、マルクスが社会的な問題を、フロイト心理的な問題を解決してしまった。もう小説の可能性は残されていないと言ったのに対して、日本のインタビューアーが、開発国などのマルクスフロイトも知らない作家だったらどうですか? と質問すると、間髪を入れず、それは無知に過ぎないと答えたことが印象に残っている。「それは無知に過ぎない」という言葉が強く私の記憶に焼き付いている。

 

僕が批評家になったわけ (岩波現代文庫)

僕が批評家になったわけ (岩波現代文庫)

  • 作者:加藤 典洋
  • 発売日: 2020/01/18
  • メディア: 文庫
 

 

エッジでサラ・ケイン作、川口智子演出のパンクオペラ『4時48分 精神崩壊』を見る

 

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 渋谷のスペースエッジでサラ・ケイン作、川口智子演出のパンクオペラ『4時48分 精神崩壊』を見る。作曲が鈴木光介。
 サラ・ケインはイギリスの劇作家、1971年生まれだが、28歳のときうつ病自死している。川口は10年前からサラ・ケインの芝居を上演している。アウシュヴィッツを描いた芝居だということだったが、チョコレートのトリュフを20個以上実際に役者が食べるシーンがあり、それは過食症を思わせた。過食症と拒食症は摂食障害の二つの表れで、悪化するとしばしばうつ病になり自死することもある。サラ・ケインのうつ病もそのことと関係があるかもしれない。
 今回予定していた香港だか台湾のダンサーがコロナ騒動で来られなくなり、パンクオペラとうたっていたが、ダンサー抜きのいわば演奏会形式の上演だった。舞台には楽器を演奏する鈴木大介と3人の歌手が立っていた。スペースエッジは仮設のような空間で、芝居小屋としてはとても狭く、ベンチに座る私と歌手は1メートルほどしか離れていない。
 英語原文と日本語訳の歌詞がすべてスクリーンに字幕で映し出され、それを歌手たちが英語で歌っていく。歌詞を追っていくと終始暗く辛い内容が歌われている。しかし鈴木の曲は美しい。歌手たち(滝本直子、小野友輔、中西星羅)も良かった。
 川口によるサラ・ケインの芝居の日本での上演は初演からもう10年になる。うつ病自死したサラ・ケインの芝居が悲惨で厳しいものなのはある種納得できるような気がするが、それを10年以上繰り返し取り上げている川口の心情は何なんだろう。見たところ陰のない明るいお嬢さんに見えるのだけれど。
 字幕の使い方や、同じ芝居を繰り返し取り上げて作り込んでいく方法に、師事した佐藤信の影響が感じられる。そして川口の選ぶスペースがこのエッジであったり、立教大学の教室であったり、東京ワンダーサイトのような本来芝居小屋でない場所ばかりなのも、佐藤信黒テントに拘っていた影響があるのだろうか。