ヒュッシュでシューベルト《冬の旅》を聴く

 吉田秀和「改めて、また満たされる喜び」(朝日新聞社)に「シューベルトの響き」と題する1995年に書かれた章がある。その途中から引用する。

シューベルトの)《冬の旅》は気安くきける音楽ではない。私にとって《冬の旅》は、戦後間もなく、たしか帝国劇場でゲルハルト・ヒュッシュできいたのと、あとハンス・ホッターと、この二人の歌いぶりと切り離せない。もう、死ぬまで、このままだろう(後書)。
 ヒュッシュは声量はあまりない人だったが、早めのテンポで一字一字、輪郭のはっきりした文字が白紙の上に浮かび上がってくるように歌い進めるその清潔端正なさまは、まるで中国の名筆の厳しく気品にみちた書をみる趣があった。字の一つ一つの形がきれいというだけでなく、全体の中での意味の重さ、アクセントの起伏への考慮もあり、そこから情の深さと意の強い鮮やかさが生まれてくる。

(後書)このあと、私はテノールのクリストフ・プレガルディエンが歌う《冬の旅》を知った。これがまた凄い演奏である。プレガルディエンは現代屈指の古楽器奏者、アンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノに合わせて歌っているのだが、現代の最先端をいくような孤独の歌になっていて、きくものに心が凍りつくような思いを味わわせる。

 高校生の頃、私にクラシック音楽を勧めてくれた友人のハムは、このヒュッシュの《冬の旅》が大好きだった。彼の部屋の小さなレコードプレーヤーで何度も聴かされたのだった。だから私にとっても《冬の旅》はまずヒュッシュなのだ。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのCDも買ったけれど。

シューベルト:冬の旅

シューベルト:冬の旅