コバヤシ画廊の前本彰子展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で前本彰子展「極楽水宮」が開かれている(5月7日まで)。前本は1957年石川県に生まれる。1980年京都精華短期大学絵画専攻科卒業、1982年Bゼミスクール修了。1983年よりコバヤシ画廊をはじめ個展多数。

 画廊の中央に大きなドレスが展示されている。圧倒される存在感だ。「極楽水宮 翡翠姫」と題されている。サイズの大きさが、単なるサイズの問題に収まらず質的な意味の変容を示している。

 壁面には「深海のアネモネ」と題されたレリーフ状の作品が展示されている。いつものホワイトキューブの画廊空間がちょっとおどろおどろしい空間に変わっている。


 女性作家らしい造形だ。いや、女性作家らしいという言い方は、そのことに特別価値を込めていない”価値ニュートラル”な表現であり、大きな特性の一つだと思う。

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前本彰子展「極楽水宮」

2022年4月25日(月)―5月7日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)日曜休廊、祝日開廊

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

 

 

津野海太郎『編集の提案』を読む

 津野海太郎『編集の提案』(黒鳥社)を読む。津野の編集に関する古い文章を編集の宮田文久が拾い出して1冊にまとめている。津野は50年ほど前、演劇集団68/71(後の黒テント)の演出を手掛け、また晶文社の編集者として晶文社の出版方針を先導したという印象がある。また『本とコンピュータ』の編集長として、DTPをいち早く取り上げたのではなかったか。高橋悠治との『水牛通信』は名前だけ知っていたが読んだことはなかった。

 座談会などから原稿にする「テープおこしの宇宙」は興味深かった。私も仕事でテープ起こしを依頼したことが何度かあったが、こんなに奥深いものだとは知らなかった。

 座談会について、デューク大学フレデリック・ジェイムソン教授の発言を引いている。「私が思うのは、私はこれに類するものをよく読んでいるとは言えませんが、それでもアプリオリに、座談会は真剣な論争を許容しない形式ではないか、ということです」。

 

 このジェイムソンの発言を受けて、テツオ・ナジタ、マサオ・ミヨシ、ハリー・ハルトゥニアンといった出席者たちも、座談会はコンセンサスのない場所にコンセンサスの見かけをつくりだす方法である、という意味のことをズケズケと口にしている。ようするに座談会形式にたいしては批判的なわけで、酒井の見解よりも、どちらかといえば、こちらの意見のほうがここでの議論の基調になっていると私には感じられた。

 

 この酒井の見解というのは、酒井が「現在、米国でも座談会という討論、対話、議論の形式についての知的関心が高まってきており、座談会に対応する文学ジャンルが存在しないことから、ZADANKAIという語そのものを名詞として導入しようという試みが一部でなされている」との発言を引いている。

 私も座談会という形式に対しては積極的な価値を認めがたいという見解に賛同するものだ。なお、ここで名前の出たテツオ・ナジタはハワイ出身の日系の歴史学者だが、彼に日本語を教えたのが鶴見大学の新山茂樹教授だった。新山はほかにも村上春樹の英訳者ジェイ・ルービンに日本語を教えている。

 新山が優れた学識を持つにも関わらず知る人が少ないのは、鶴見大学の教授だったからに違いない。良妻賢母を育成するという大学の方針から、優れた弟子が育たなかったのだろうと思う。同じく優れた画家だったのにも関わらず知名度がイマイチだった酒匂譲も家政大学の教授だったため、教え子たちが画家になることなく家庭に入ってしまい、日本の画壇で酒匂を押す画家が少なかったことによることと、相似だと思う。

 津野が『子供!』というインタビュー集を作ったとき、すでに小学生のときから、女の子たちが人間関係――つまり友だちとか親とか先生とかの関係につよい関心をもっていて、表面に見えるものの裏を読む、さらにそのまた裏を読むといった繊細な技術にびっくりした覚えがある、と津野は言う。その点に関する限り男の子たちはまったくの無能力。女の子たちに一方的に内心を読まれているだけでじぶんから人間関係の奥ふかいところを読みとこうとする意欲がほとんど感じられない。

 そのかわりに男の子たちが関心をもっているのは、昆虫とか切手とか鉄道とかのモノ。もしくは野球とか釣りとか剣道とかのスポーツ。自分が熱中しているモノやスポーツの話題になると、おもたい口がようやくほころびはじめる。

 そのあとで『家族?』というインタビュー集をつくって、同じ傾向が大人になってもそのままつづいていることに気づいた。家族という関係についての意見や感想ではなく、特定のとき、場所で、じぶんたちの関係に何が生じたのかを、できるだけ具体的に話してもらおう。そう考えてインタビューをはじめたのだが、男というのは、この手の質問にはまったく対応できない。モノやスポーツに関してはあいかわらず饒舌だが、仕事を離れて、ひとりの人間として家族や他人たちと結ぶ関係については、具体的なことがどうしてもうまくしゃべれないようなのである。そのかわり、どんな話もすぐ「意見」になってしまう。しかも、どれも最近の新聞やテレビで読んだり聞いたりしたことがあるような意見や概括ばかりで、じぶんの生活のなかでジックリたしかめてきたという手応えがない。

 この辺り、私も同じなのだろう。

 植草甚一に本を出版させたのも津野海太郎だった。片岡義男には雑誌『ロンサム・カウボーイ』に小説を連載させた。平野甲賀をさそって雑誌や晶文社の書籍の装丁を任せた。津野海太郎の出版における影響力は小さなものではなかったと思う。しかし津野を編集者として位置付けるのは少しずれているのではないか。編集者という裏方ではなく、やはり表舞台の人という印象が強いのだ。

 本書の裏表紙にごく小さなマークがあって、「取引代行TRANSVIEW」とある。でもその名前は奥付にはない。黒鳥社発行とあるだけだ。おそらく黒鳥社は取次に口座を持っていないので、トランスビューが販売を代行しているのだろう。

 

 

編集の提案

編集の提案

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春の連休に向島百花園を訪ねる

 春の大型連休に東京墨田区向島百花園を訪ねる。最初にセッコクが咲いていた。藤、紅色のウツギ、卯の花ヒメウツギ芍薬コデマリムラサキツユクサ、睡蓮、ムラサキセンダイハギ、アヤメ、セイヨウサンザシなどが咲いている。

 むかし、ふ化したばかりの子亀たちが行列を作って池に向かっていたのを見たことがあった。その後そんな僥倖には出会えていない。連休2日目だったが、意外に人出は少なかった。

セッコク

ウツギ

ヒメウツギ卯の花

芍薬

コデマリ

ムラサキツユクサ

アヤメ

ナンジャモンジャノキ(ヒトツバタゴ)

 

 最後のナンジャモンジャノキ(ヒトツバタゴ)は向島百花園ではなく近所の公園で撮影したもの。ナンジャモンジャの大木は御徒町駅近くの公園でいつも見事な花を咲かせていた。

 

向島百花園

https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index032.html

 

 

ギャラリーαMの高柳恵里展を見る

 東京東神田のギャラリーαMで高柳恵里展「比較、区別、類似点」が開かれている(6月10日まで)。高柳は神奈川県生まれ。1988年に多摩美術大学大学院美術研究科を修了し、1990−1991年イタリア政府給費留学生としてミラノ国立美術学院に留学している。現在多摩美術大学教授。先月表参道のギャラリーMUSEE Fでも個展を行ったばかりだ。

 ギャラリーには高柳特有の変な作品が展示されている。ほとんどが日常で見かける物体だ。切り取られた樹木の枝と剪定鋏、剪定鋏の写真、戸棚の棚板、机と椅子、ハンカチ、2リットル入りのペットボトル(サントリー天然水)、ポリシートに泥、カーペットにポリシート、床材の見本。

棚板

ハンカチ

ペットボトル

ポリシートに泥

カーペットにポリシート、泥

床材の見本


 こんなものが作品なのか、という驚き。いつもながら高柳は何を狙っているのだろう。床材の見本とかペットボトルとか、ほかのものも、作品が本来まとっているオーラがない。それらは他の同じようなものと取替え可能なものばかりだ。作品は本来取替えのきかない唯一のもので神々しいオーラをまとっている。そのオーラが全くない。

 高柳は作品からオーラを剥奪しているのだろうか。デュシャンのレディ・メードをもっと徹底して・・・。

 先月のMUSEE Fでの個展の折りのホームページに掲載された言葉を再度引く。

 

「日常生活における物に向き合い、そのありように加える操作とも呼びがたい微細な作用によって作品を制作し続けている髙柳恵里」。

 

現代美術をリードし続け確かな地位を固めた髙柳。その作品と向き合う時、はじめは戸惑いを感じるのにしばらく対峙する事で見えてくるものがある。作家髙柳の感覚や感情が作品に移入されていることに気づかされる。その腑に落ちるような感覚こそが美術鑑賞の醍醐味であるかもしれない。日常にある品々の美しさ、ひいては日常の自分自身のものの見方そのものの再発見ともなるであろう。

 

 高柳の展示はいつも難しい。

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高柳恵里展「比較、区別、類似点」

2022年4月16日(土)―6月10日(金)

12:30-19:00(日月祝日休廊)

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ギャラリーαM

東京都千代田区東神田1-2-11アガタ竹澤ビルB1F

電話03-5829-9109

https://gallery-alpham.com/

 

 

 

 

ユーカリオの久保田智広個展を見る

 東京人具前のユーカリオで久保田智広個展が開かれている(5月1日まで)。久保田は1992年東京生まれ、2017年東京芸術大学 美術学部絵画科油画専攻 卒業、2018~19年ウィーン応用芸術大学交換留学、2020年東京藝術大学美術研究科修士課程版画専攻 修了。今回が初個展となる。

 とても変わった展示だ。ユーカリオは3階建てのギャラリーで1階に受付があるが、それを3階に移している。2階の壁を30cmほど移動したり、家具などを少し移動させたりしている。1階の奥にあった冷蔵庫を部屋の真ん中近くに出したり、傘立てを中央に置いたりしている。



 ギャラリーのホームページより、

 

久保田はギャラリー空間に普段置かれているモノ—作品や備品、什器など—を会場の外部へと運び出し、その構成を一変させます。それは通常のギャラリーの機能を阻害する行為であると同時に、その空間としての機能の抽象化でもあります。そうすることで久保田は、普段前景化されることのないギャラリーという場の物理的/システム的な裏側を可視化し、空間の最適な環境について再考するために一時的な実験の場を作り出すことを試みます。またそうした実践は、かつてホワイトキューブの空間をはじめ、美術の世界を規定する社会経済的な枠組みへと批判の意識を向けた制度批判のアーティストの手つきを思わせます。

このように本展はEUKARYOTE(ユーカリオ)という会場を一つのケーススタディとして、ギャラリーという空間の別のあり方、ひいては一つの有機的なシステムを新たに創出することを目指します。こうした作家による現代美術の可能性をめぐる実験的な試みをぜひご高覧下さい。

 

 受付や本来のバックヤードが移された3階は、何が展示で何がギャラリーの備品なのか、事務所なのか全く分からない。

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久保田智広個展「「eat ro ekyu」

2022年4月15日(金)―5月1日(日)

12:00-19:00(月曜休廊)

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EUKARYOTE(ユーカリオ)

東京都渋谷区神宮前3-41-3

https://eukaryote.jp/