日本美術の二つの様式

 恩田侑布子『星を見る人』』(春秋社)の書評を渡辺保毎日新聞に書いている(2023年9月23日朝刊)。本書で恩田は久保田万太郎の俳句を分析しているが、渡辺は「俳句そのものも面白いが、著者の解釈が面白く、批評の文学になっている」と称える。

 さらに渡辺は、「この本の中には、万太郎の他にも、多くの詩人、画家、批評家が登場する。そのなかでも白眉は、最後の2編。井筒俊彦芭蕉観と、芭蕉の『笈の小文』』についての新説」とある。

 その『笈の小文』についての新説とは、

 

 こうして万太郎から井筒俊彦に至った著者は、この本の最後に珠玉の作品を作った。すなわち「新説『笈の小文』」。芭蕉の『笈の小文』は『おくのほそ道』その他の紀行文に比べて評価が低い。それは作品自体の価値の問題ではなく、様式の問題であると著者は指摘する。たとえば日本美術には二つの様式がある。一つは「源氏物語絵巻」はじめ時間軸に沿って展開する絵巻物様式。もう一つは俵屋宗達の「扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)」の様な個々の扇面を画面に散らす、反時間的な展開の様式である。扇面式の『笈の小文』を『おくのほそ道』と同じ絵巻物様式では解釈できない。その証拠にもし扇面式に解釈するとたちまち別な世界が開ける。それは芭蕉と晩年の恋人杜国との噎せ返る様な恋であり、二人の死を目前にしたいのちのほてりともいうべき炎であった。その熱っぽさは、さながら人間最後の生命の証の如く、新説の正否、批評を超えて一つの作品になった。久保田万太郎に始まって井筒俊彦に至り、俵屋宗達を経て美しさに満ちた作品に達したのである。

 

 日本美術には、絵巻物様式と扇面散屏風様式の二つの様式があるという。なるほど、勉強になりました。