ネコヤナギと印度りんごの記憶

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王林

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ネコヤナギ、https://shiny-garden.com/post-22995/ から借用


 近所を散歩していて、ふと道端の灌木にネコヤナギの蕾を見つけた。するとほのかな幸福感に包まれた。すぐそれはネコヤナギなどではなくムクゲの芽だったことに気がついた。いつもそこにムクゲの花が咲いていた。

 子どものころ早春になると時々ネコヤナギの花を採りに九十九谷脇の渓流をさかのぼって探しに行った。渓流の脇に灌木林が続き、そこに名の知れぬ種々の灌木やマンダケが生えていた。マンダケは径1センチ前後の細くて長い竹だった。笛とか釣竿とか竹細工に適した竹だった。渓流の脇をさかのぼって行くと、その灌木の中にネコヤナギが咲いていた。そのときの幸福感が60年ぶりくらいに蘇ってきたのだ。

 私の生まれ育った村は天竜川の東岸で、河岸段丘によって形成された村だった。東側の山が迫っていて、午前10時くらいまで陽が射さなかった。冬の朝は寒かった。霜柱もなかなか融けなかった。村は戦後まで養蚕が盛んだった。蚕は夏の高温を嫌うので、村の人家の作りは夏涼しいことを旨としていた。風通しがよく、そのため密閉度が低く、冬は極めて寒かった。本多勝一が飯田を含む伊那地方の民家の室温は世界で最も低いと書いていたほどだ。暖房器具はこたつだけだった。

 だから春が待ち遠しかった。早春の一番に芽が出る福寿草は待ちわびていた春の到来を教えてくれた。庭の一角に福寿草の芽を見つけるとすぐ祖母に報告した。おばあちゃ、福寿草の芽がでたよ! 水仙の芽も嬉しかった。やがてチューリップも芽生えた。ネコヤナギの花を採りに行ったのはその後だったろうか。早春の山にヤマツツジの蕾を見つけたときも嬉しかった。20年ほどまえに外資系のクライアントを訪問したとき、受付にヤマツツジが活けてあった。それを見たときも田舎でヤマツツジの蕾を見つけたときの幸福感を思い出した。

 昨日スーパーで王林という品種のリンゴを買ってきた。ナイフで半分に切ったとき、りんごが香って、これは印度りんごの香りだと即座に思った。50年前くらいは印度りんごが普通に売られていた。大ぶりのりんごで、甘いけれど酸味がなくてやがてすたれていった。ただ陸奥というりんごの交配種になったり、新種のりんごの親として重宝されているようだった。調べてみると王林はゴールデンデリシャスと印度を掛け合わせて生まれたりんごとのことだった。匂いの記憶も強く50年経っても薄れないことにちょっと驚いた。プルーストのマドレーヌの記憶も連想された。

 印度りんごとネコヤナギの記憶がよみがえった冬の一日だった。