ヘミングウェイ『日はまた昇る』(ハヤカワepi文庫)を読む。これは新訳で土屋政雄が訳している。最初にこれを読んだのは高校生のときだったから、もう40数年前になる。エピグラフのガートルード・スタインの言葉「あなたがたはみんな失われた世代ね」が、土屋の新訳では「あなか方はあてどない世代ね」に変えられていた。50年近い昔の記憶ではそれ以外もう忘れてしまった。
昔読んだときは私=ジェイク・バーンズが戦争でペニスを失っていることが分からなかった。それが分からなければ、ジェイクとブレッドは相思相愛なのになぜ結ばれないのか、肝腎のところが抜けてしまう。
その岩波文庫の解説を見なおしてみた。訳した谷口睦男が解説も書いている。
お読みになれば解る通り、この『日はまた昇る』は登場人物の各個人もその人間関係もきわめて複雑である。たとえば語り手のジェイク・バーンズは戦傷による性不能の状態にあり、彼の苦痛と心理の陰えいは恐らく深刻であったにちがいないし、女主人公ブレットは貴婦人(レディ)の称号を持ちながら、酒と男性なしにはすまされない。しかもその二人がたがいに理想の恋人を相手の中に見いだしているのだからやっかいである。
そうだ、この解説を読んで初めてジェイクが不能だったことを知ったのだった。その時の驚きを思い出した。私はまだ高校生だったし、女性と付き合ったことはおろか、ほとんど口もきいたことがなかった。
作者のヘミングウェイはもちろん不能ではなかった。ではどうして不能のジェイクを主人公に持ってきたのだろう。当時のヘミングウェイが何か大きな喪失感を抱えていたのだろう。そのことを指してガートルード・スタインが失われた世代と呼んだのかもしれないし、あるは別の個人的なものだったのかもしれない。
ヘミングウェイは圧倒的な高い評価を得てノーベル賞ももらい、しかし『老人と海』というこれまた喪失の物語を書いて、最後に猟銃で自殺してしまう。
自殺で終わった人生が、それだけで敗北の人生だとか不幸な一生だったとは思わない。それは最後の形に過ぎない。生きていた時のほとんどの時間が充実していたと思う。仮にしばしば苦しんでいたとしても。
- 作者: アーネストヘミングウェイ,土屋 政雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/03/31
- メディア: 文庫
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