高峰秀子『私の梅原龍三郎』を読む

 高峰秀子『私の梅原龍三郎』(文春文庫)を読む。これがつまらなかった。なぜか? 高峰には『わたしの渡世日記』という優れた自伝エッセイがある。以前読んでとても面白かった。高峰の文章には定評がある。その高峰が画家の梅原龍三郎について書いている。面白いに違いないと期待して読んだのだった。
 梅原は高峰と同じ子年で、3回り上だと言う。すると36歳上ということになる。しかも梅原は画壇の大御所だ。高峰は若いときから梅原にずいぶん可愛がられているが、そんなに年上で画壇の大御所では高峰は文字どおり尊敬するしかない。
 高峰夫婦が老いて、それまで部屋数が多かった家を建て直して、居間・寝室・書斎の3部屋きりの小さな家にしたのをきっかけに、家中に溢れていた家具調度を整理した。その際残ったたくさんのスナップ写真のうち、梅原と写っているのをまとめて本にすることを考えついた。つまり、これは高峰の企画による本なのだ。
 高峰の文章に高い評価がされているのは、彼女の批判精神のためだろう。さて、本書で高峰は梅原に対して尊敬や好意しか綴っていない。それは素直な高峰の気持ちだろう。しかし、本書の高峰には自分と梅原の関係しか見えていない。その視線に客観性がない。梅原は偉大な画家だった。しかし顕彰するだけの存在などあるわけがない。梅原の絵に限界がないわけがない。だが高峰は、梅原の美食家ぶりや贅沢な生活を書き綴るばかりだ。これでは、ある種の提灯記事と言われても仕方がないだろう。
『わたしの渡世日記』を書いた一流のエッセイストがこんな本を公にしてはいけない。
 私にとって拾いものだったのは1葉の写真だけだった。そこには梅原を訪ねてきた時の首相佐藤栄作が写っている。写真前列左から2人目が梅原龍三郎、3人目が佐藤栄作、後列右が高峰秀子だ。

 この佐藤栄作が私の友人Kにそっくりなのだ。Kは佐藤栄作より50歳近く若い。佐藤の写真は40年ほど前のものだ。Kは私と同じ村の出身で小中高校と一緒だった。その後北海道大学の経済に学び、一流企業に就職した。その企業に応募した理由が、面接を東京の本社で受けるがその際航空券を支給してもらえるからというものだった。彼はその後その会社の代表取締役専務にまでなった。総務課長時代に総会屋に対して一歩も譲らなかったほど強面だったが、自己には厳しくまた部下への思いやりが強かった。札幌〜羽田の往復航空券1枚でこんな優秀な人材を手に入れるとは、この会社はずいぶん安い買い物をしたのだった。Kの雰囲気、貫禄が佐藤栄作と共通するのかもしれないと、写真を見て思ったのだ。友人は佐藤栄作が嫌いだったろう、しかし何か共通するものがあるのだと思われた。


私の梅原龍三郎 (文春文庫)

私の梅原龍三郎 (文春文庫)

わたしの渡世日記〈上〉 (新潮文庫)

わたしの渡世日記〈上〉 (新潮文庫)

わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)

わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)