国立新美術館のタムラサトル展「ワニがまわる」を見る

 東京六本木の国立新美術館でタムラサトル展「ワニがまわる」が開かれている(7月18日まで)。タムラは1972年栃木県生まれ、1995年に筑波大学芸術専門群総合造形を卒業し、日本大学芸術学部デザイン科非常勤講師、および宇都宮メディア・アーツ専門学校ビジュアルデザイン科非常勤講師を勤めている。

 私は1990年代のオレゴンムーンギャラリーや、1998年の現代美術製作所の個展が印象に残っている。昨年は銀座蔦屋書店でも個展を見た。いつも動く立体を作っている。

 今回は国立新美術館の企画展示室に巨大なワニが回っている。ワニは大小無数にあって、どれもがクルクル回っている。回るのはほとんど無意味でバカバカしいようなものだ。でもそれが性懲りもなくただ回り続けていれば、感心して見るしかない。


 なお、些細なことだが、配布されたパンフレットに小さなミスがある。ノンブル(ページ番号)はパンフレトでは表紙から1ページとし、単行本では扉を1ページとする。したがって、見開きページにおいては、偶数ページが若くなければ「ならない」が、このパンフレットは奇数が若い数字になっている。

     ・

タムラサトル展「ワニがまわる」

2022年6月15日(水)―7月18日(月)

10:00―18:00、火曜日休館

入場料無料

     ・

国立新美術館

東京都港区六本木7-22-2

ハローダイヤル050-5541-8600

https://www.nact.jp

 

 

森村誠一『老いる意味』を読む

 森村誠一『老いる意味』(中公新書ラクレ)を読む。副題が「うつ、勇気、夢」というなんだか取り留めないもの。90歳近い老作家が老いについて書いている。ある日、鬱になった自分を発見した。朝がどんよりしていた。言葉が出て来なくなった。認知症を併発しているようだ。思い出す言葉を広告の裏などに書き散らしていった。家の中が言葉であふれた。玄関の扉にも、トイレの入口にも、寝室の扉にも・・・。医師にすがった。そして3年がかりで光と言葉を取り戻した。

 2019年には『永遠の詩情』という詩と散文で自分の半生を振り返った1冊を発表出来た、として極めて下手な詩が掲載されている。

 

 夢というものは

 果てしない。

 終点のある夢は

 夢ではない。

 夏が立ち去り

 排ガスと騒音に満ちた

 都会の空が

 高くなる。

 微塵ひとつぶ浮いていない旅先から

 光化学スモッグと騒音の街に帰り、

 ほっと

 我が町に帰って来たように

 安堵する。

 これが我が町

 旅先の自然に

 身心共に洗われた私は、

 豊かなな自然のなかに

 放散した我が身が、

 なぜか

 もっとも汚染されている都会に帰って来て

 ほっとしている。

 (後略)

 

 

 これを読むと森村さん、まだ言葉が失われたままのように見える。これだけ大作家になると、編集者も遠慮して何も言えないのだろう。

 その後も、「老いと老化は別」とか「老後は人生の決算期」とか、「余生にまで倹約を続ける必要はない」だの、「いい意味でのあきらめも必要」、「欲望は生きていくうえでのビタミン剤」などなど、凡庸な提案が並べられている。

 参考になる話もあった。

 配偶者に先立たれるとまるでやっていけない男は多い、としてパイロットだった友人の例をあげる。現役時代は服装もダンディで、いつも身ぎれいにしていたが、奥さんに先立たれてから服装が一変した。服は薄汚く髪の毛はボサボサになった。自宅に行ったら、部屋中に服が脱ぎ散らかされているばかりか、カップラーメンやレトルトの包装などが散らばっていた。

 私がこの話を娘にすると、父さんだってそうじゃない、私がいなかったら部屋はごちゃごちゃだよ、と。気を付けよう。

 森村は編集者に勧められて本書を書いているものの、実はそれほど書く事がない。文章は句点ごとに改行しページ数を稼いでいる。コーヒーの淹れ方を詳しく書いたり、ループタイは年寄りっぽく見えるとか、シニアラブもあってもいいが、プラトニックであるのが望ましいとか、一生懸命書くことを絞り出しているようだ。

 で、私の印象は「森村さん、無残!」

 

 

 

萩尾望都『一度きりの大泉の話』を読む

 萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)を読む。萩尾は福岡の高校時代から漫画家を目指し、雑誌に投稿していた。やがて高校の友人で手塚治虫のアシスタントになっていた原田千代子から、大泉に住んでいる手塚ファンだという増山法恵を紹介される。増山と文通し、編集者を訪ねて上京すると増山の家に泊めてもらった。増山の家にはグランドピアノがあり、彼女はピアニストを目指していた。萩尾は20歳で講談社の少女雑誌『なかよし』にデビューしたが、作品はボツが続いた。あるとき、編集者から旅館にカンヅメになっている竹宮恵子の手伝いに行ってくれと頼まれた。その後、萩尾は上京した折り時間があえば竹宮の手伝いをした。竹宮から小学館の編集者を紹介される。

 ある時、竹宮から、講談社でボツになった原稿を小学館の編集者に渡してあげる、萩尾が上京したら、広いところを借りて一緒に住まないかと提案される。萩尾は増山を竹宮に紹介する。二人は話が合いすぐに仲良くなっていった。増山は小さいときから作っているお話があるが、それを自分では漫画に描かないで誰かに描いてもらいたいと考えていた。

 萩尾のボツ原稿は小学館の編集者が全部買ってやると返事した。両親を説得して東京へ移り住むことにした。増山が彼女の自宅の近くに小さな貸家を探し出して、萩尾はそこで竹宮と一緒に住むことになった。

 竹宮は美人で誰に対しても丁寧に接し、穏やかで人間的にも立派だった。「私は何をやっても人に負けたことはないの」とニコニコと言っていた。

 増山は美少年嗜好だった。竹宮にアドバイスしてそんな傾向の作品を描かせたりした。萩尾はそのボーイズラブには興味が持てなかった。ある日、竹宮から、前々から描いていたという少年愛がテーマの『風と木の詩』をクロッキーブックにまとめたものを見せてもらった。美少年愛が描かれていて驚いた。

 萩尾は『11月のギムナジウム』を描く。少年兄弟の物語だ。この頃、昔雑誌に描いた作品が再録されてお金が入った。それで、竹宮と増山を誘い、山岸涼子も加わって4人でヨーロッパ旅行をした。44日間だった。

 萩尾は『小鳥の巣』を描き、1回目が発売になって2回目も描き終わって入稿してホッとした頃、話があると言われて竹宮と増山が住んでいるマンションに呼ばれた。そこで、『小鳥の巣』について、竹宮の作品の盗作だと批判された。3日ほど経って竹宮がやってきて、この間した話はすべて忘れてほしいと言う。そして私が帰ったら読んでと手紙を置いていった。その手紙には、マンションに来られては困る、書棚の本を読んでほしくない、スケッチブックをみてほしくない、節度を持って距離を置きたいなどと書かれていた。萩尾は眠れなくなり、食欲もなくなり、外出先で倒れてしまう。救急車で運ばれ入院した。帰宅して仕事を続けたが、目が痛くなってきて、痛みは日ごとに増した。後に心因性視覚障害と診断された。

 萩尾は埼玉の田舎に引っ越す。人には光化学スモッグで目をやられたからと言って。引越し当日増山が会いたいと言ってきて喫茶店で会ったが、増山が泣き出した。放っておいてごめんねと。でも転居してからは竹宮とも増山とも会っていない。

 萩尾は妹とイギリスへ行ってホームステイする。妹が帰国した後も残って結局5カ月も滞在した。その時、友人の池田いくみの漫画『ハワードさんの新聞広告』をリライトした。池田が描いたものがボツになっていて、池田は病気の後遺症でもう漫画が描けなかった。それで萩尾が描き直すと約束していた。池田の原稿は持ってきていなかったが、「何度も読んでいたので、ページは全部空で憶えていた」。

 埼玉へ引っ越してから萩尾は竹宮たちのことを封印してきた。人にも一切話さなかった。その後、「大泉が解散したのは城章子と佐藤史生のせいだ」と竹宮が言っているという噂が流れてきた。城が竹宮に電話して、竹宮が何人にもそう言っていることを確認し、城が竹宮に言った。「大泉が解散したのはあなたの嫉妬のせいでしょうが!」と。

 本書を書くに当たって萩尾は考える。竹宮の嫉妬とは何だったのか。萩尾より竹宮の方が売れっ子だった。そして気付いて行く。竹宮は増山と組んで少年愛ボーイズラブの世界を描いて少女漫画を革新しようとしていた。萩尾が『小鳥の巣』を描いたとき、男子寄宿舎を舞台に選んだことを盗作だと考えたのだと。

 数年前、竹宮恵子が自伝を書いた。それを読んだ編集者やプロデューサーたちから、竹宮との対談や大泉を舞台にしたドラマ化が何度も提案される。萩尾は竹宮の書くものは一切読まないできた。自伝も読まない。でも萩尾が竹宮と別れたことを今まで明らかにしてこなかったことから、対談などの話が何度も何度も企画されてくる。竹宮からも自伝が送られてくる。萩尾はそれも読まないでマネージャーが読んで送り返した。「萩尾はもう関わりがないし、これからも関わりません」と書いて。

 最後にマネージャーの城章子が短文を添えている。そこにかつて竹宮が萩尾を怖いと言った話が載っている。萩尾は、例えば棚とかカップとか、見たものをぱっと憶えてすぐに絵にできる。特技というか才能だと。だから竹宮は、自分の家にある好きで集めている品を萩尾が「あら素敵」ってすぐに漫画に描きそうで怖いと言う。すると萩尾は映像記憶が優れているのだろう。見た映像をすぐ記憶してしまう特異な才能。竹宮のクロッキーとかも一度見れば憶えてしまったのだろう。池田いくみの『ハワードさんの新聞広告』をイギリスでリライトした時も、原稿がなくても「ページは全部空で憶えていた」のだ。その才能が竹宮を怖がらせたのだったろう。

 少女漫画に特段興味がない私にも面白く読めたのだった。萩尾望都竹宮恵子も読んだことがなかったのか、記憶に残ってないだけかもしれない。友人の彼女が読んでいた『週刊マーガレット』だったかで、『スマッシュを決めろ』とか『アタックナンバー1』とかを読んだ記憶はある。樹村みのりは好きだった。大島弓子の『綿の国星』や『グーグーだって猫である』は読んだことを憶えているが。

 女性ってややこしい、と書いたら女性たちのひんしゅくを買ってしまうか。

 

※追記(2022. 6. 21)

 萩尾は映像記憶に優れていた。それは山下清と同じだ。映像記憶に優れている者は一度見ただけの映像をはっきりと記憶することができ、それを簡単に再現できる。萩尾は竹宮からクロッキーブックなどを見せられて、即座に記憶してしまったのだろう。記憶すれば無意識のうちに自分の絵に出てくるのではないだろうか。竹宮は、萩尾の絵に自分のアイデアを見て取って「盗作」だと非難した。しかし萩尾はそのことを意識していなかった。竹宮の批難にも根拠があり、萩尾の悩み=苦しみにも同情できる。

 

東京都現代美術館の「MOTコレクション 光みつる庭・途切れないささやき」を見る

 東京木場公園東京都現代美術館で「MOTコレクション 光みつる庭・途切れないささやき」が開かれている(6月19日まで)。

 1階の「光みつる庭」では、中西夏之、石川順恵、堂本右美など絵画を中心に、2階の「途切れないささやき」では、舟越桂の木彫や、ボルタンスキー、福田尚代の作品、駒井哲郎の版画などが展示されている。

中西夏之

中西夏之(部分)


 中西夏之ハイレッドセンター高松次郎赤瀬川原平中西夏之)の中でも最も優れた画家だ。

三瀬夏之助

石川順恵

堂本右美


 三瀬夏之助や石川順恵、堂本右美などが常設に並ぶようになったのだと、しばし感慨にふける。

ボルタンスキー

ボルタンスキー

ボルタンスキー

ボルタンスキー


 今回の目玉(と私が考える)ボルタンスキーがMOTの収蔵品である贅沢さ!

康夏奈

康夏奈

康夏奈


 康夏奈(吉田夏奈)の作品は天井から逆円錐形に吊り下げられており、鑑賞者は下から円錐の中に入って見上げることになる。すると新しい視界が広がる。

宮島達男

アンソニー・カロ


 いつもの場所に宮島達男のデジタル数字が点滅している。なぜか「0」がない。またアンソニー・カロの鉄の立体も変わらぬ場所にある。

     ・

MOTコレクション 光みつる庭・途切れないささやき」

2022年3月19日(土)―6月19日(日)

10:00-18:00(月曜休み)

     ・

東京都現代美術館コレクション展示室

ハローダイヤル 050-5541-8600

 

 

東京都現代美術館の藤井光「日本の戦争画」を見る

 東京木場公園東京都現代美術館で「東京コンテンポラリー アート アワード 2020-2022 受賞記念展」が開かれている(6月19日まで)。受賞作家は藤井光と山城知佳子、山城は30分ほどの動画「チンピン・ウェスタン 家族の表彰」を展示している。

 ここでは藤井光の「日本の戦争画」を紹介する。パンフレットより、

 

 藤井は、1946年に東京都美術館で、占領軍関係者に向けて開催された戦争記録画の展覧会を、アメリ国立公文書館に現存する資料をもとに考察した映像とインスタレーションで再現します。資料から垣間見える戦争記録画の処置に関する占領軍の逡巡をとおして、時局の変遷によって、その捉え方も変化する絵画を巡る議論へ鑑賞者を導きます。

小磯良平「カリジャテ会見記」

小磯良平「日緬条約調印図」

宮本三郎シンガポール陥落」

藤田嗣治サイパン島同胞臣節を全うす」

井原宇三郎「特攻隊内地基地を進発す」



 ここには153点の戦争画をベニヤ板に置き換えた藤井の作品が並べられている。タイトルを見れば有名な戦争画だが、それが無機質なベニヤの作品に置き換えられている。戦争画アメリカ軍に接収されたのち、日本に永久貸与という形で返還?されたが、まだ全貌が展示されたことはない。

 戦後70年を超えたから、もう戦争画展が開かれてもいいのではないか。

     ・

「東京コンテンポラリー アート アワード 2020-2022 受賞記念展」

2022年3月19日(土)―6月19日(日)

10:00-18:00(月曜休み)

     ・

東京都現代美術館企画展示室3F

ハローダイヤル 050-5541-8600

(入場料:無料)