萩尾望都『一度きりの大泉の話』を読む

 萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)を読む。萩尾は福岡の高校時代から漫画家を目指し、雑誌に投稿していた。やがて高校の友人で手塚治虫のアシスタントになっていた原田千代子から、大泉に住んでいる手塚ファンだという増山法恵を紹介される。増山と文通し、編集者を訪ねて上京すると増山の家に泊めてもらった。増山の家にはグランドピアノがあり、彼女はピアニストを目指していた。萩尾は20歳で講談社の少女雑誌『なかよし』にデビューしたが、作品はボツが続いた。あるとき、編集者から旅館にカンヅメになっている竹宮恵子の手伝いに行ってくれと頼まれた。その後、萩尾は上京した折り時間があえば竹宮の手伝いをした。竹宮から小学館の編集者を紹介される。

 ある時、竹宮から、講談社でボツになった原稿を小学館の編集者に渡してあげる、萩尾が上京したら、広いところを借りて一緒に住まないかと提案される。萩尾は増山を竹宮に紹介する。二人は話が合いすぐに仲良くなっていった。増山は小さいときから作っているお話があるが、それを自分では漫画に描かないで誰かに描いてもらいたいと考えていた。

 萩尾のボツ原稿は小学館の編集者が全部買ってやると返事した。両親を説得して東京へ移り住むことにした。増山が彼女の自宅の近くに小さな貸家を探し出して、萩尾はそこで竹宮と一緒に住むことになった。

 竹宮は美人で誰に対しても丁寧に接し、穏やかで人間的にも立派だった。「私は何をやっても人に負けたことはないの」とニコニコと言っていた。

 増山は美少年嗜好だった。竹宮にアドバイスしてそんな傾向の作品を描かせたりした。萩尾はそのボーイズラブには興味が持てなかった。ある日、竹宮から、前々から描いていたという少年愛がテーマの『風と木の詩』をクロッキーブックにまとめたものを見せてもらった。美少年愛が描かれていて驚いた。

 萩尾は『11月のギムナジウム』を描く。少年兄弟の物語だ。この頃、昔雑誌に描いた作品が再録されてお金が入った。それで、竹宮と増山を誘い、山岸涼子も加わって4人でヨーロッパ旅行をした。44日間だった。

 萩尾は『小鳥の巣』を描き、1回目が発売になって2回目も描き終わって入稿してホッとした頃、話があると言われて竹宮と増山が住んでいるマンションに呼ばれた。そこで、『小鳥の巣』について、竹宮の作品の盗作だと批判された。3日ほど経って竹宮がやってきて、この間した話はすべて忘れてほしいと言う。そして私が帰ったら読んでと手紙を置いていった。その手紙には、マンションに来られては困る、書棚の本を読んでほしくない、スケッチブックをみてほしくない、節度を持って距離を置きたいなどと書かれていた。萩尾は眠れなくなり、食欲もなくなり、外出先で倒れてしまう。救急車で運ばれ入院した。帰宅して仕事を続けたが、目が痛くなってきて、痛みは日ごとに増した。後に心因性視覚障害と診断された。

 萩尾は埼玉の田舎に引っ越す。人には光化学スモッグで目をやられたからと言って。引越し当日増山が会いたいと言ってきて喫茶店で会ったが、増山が泣き出した。放っておいてごめんねと。でも転居してからは竹宮とも増山とも会っていない。

 萩尾は妹とイギリスへ行ってホームステイする。妹が帰国した後も残って結局5カ月も滞在した。その時、友人の池田いくみの漫画『ハワードさんの新聞広告』をリライトした。池田が描いたものがボツになっていて、池田は病気の後遺症でもう漫画が描けなかった。それで萩尾が描き直すと約束していた。池田の原稿は持ってきていなかったが、「何度も読んでいたので、ページは全部空で憶えていた」。

 埼玉へ引っ越してから萩尾は竹宮たちのことを封印してきた。人にも一切話さなかった。その後、「大泉が解散したのは城章子と佐藤史生のせいだ」と竹宮が言っているという噂が流れてきた。城が竹宮に電話して、竹宮が何人にもそう言っていることを確認し、城が竹宮に言った。「大泉が解散したのはあなたの嫉妬のせいでしょうが!」と。

 本書を書くに当たって萩尾は考える。竹宮の嫉妬とは何だったのか。萩尾より竹宮の方が売れっ子だった。そして気付いて行く。竹宮は増山と組んで少年愛ボーイズラブの世界を描いて少女漫画を革新しようとしていた。萩尾が『小鳥の巣』を描いたとき、男子寄宿舎を舞台に選んだことを盗作だと考えたのだと。

 数年前、竹宮恵子が自伝を書いた。それを読んだ編集者やプロデューサーたちから、竹宮との対談や大泉を舞台にしたドラマ化が何度も提案される。萩尾は竹宮の書くものは一切読まないできた。自伝も読まない。でも萩尾が竹宮と別れたことを今まで明らかにしてこなかったことから、対談などの話が何度も何度も企画されてくる。竹宮からも自伝が送られてくる。萩尾はそれも読まないでマネージャーが読んで送り返した。「萩尾はもう関わりがないし、これからも関わりません」と書いて。

 最後にマネージャーの城章子が短文を添えている。そこにかつて竹宮が萩尾を怖いと言った話が載っている。萩尾は、例えば棚とかカップとか、見たものをぱっと憶えてすぐに絵にできる。特技というか才能だと。だから竹宮は、自分の家にある好きで集めている品を萩尾が「あら素敵」ってすぐに漫画に描きそうで怖いと言う。すると萩尾は映像記憶が優れているのだろう。見た映像をすぐ記憶してしまう特異な才能。竹宮のクロッキーとかも一度見れば憶えてしまったのだろう。池田いくみの『ハワードさんの新聞広告』をイギリスでリライトした時も、原稿がなくても「ページは全部空で憶えていた」のだ。その才能が竹宮を怖がらせたのだったろう。

 少女漫画に特段興味がない私にも面白く読めたのだった。萩尾望都竹宮恵子も読んだことがなかったのか、記憶に残ってないだけかもしれない。友人の彼女が読んでいた『週刊マーガレット』だったかで、『スマッシュを決めろ』とか『アタックナンバー1』とかを読んだ記憶はある。樹村みのりは好きだった。大島弓子の『綿の国星』や『グーグーだって猫である』は読んだことを憶えているが。

 女性ってややこしい、と書いたら女性たちのひんしゅくを買ってしまうか。

 

※追記(2022. 6. 21)

 萩尾は映像記憶に優れていた。それは山下清と同じだ。映像記憶に優れている者は一度見ただけの映像をはっきりと記憶することができ、それを簡単に再現できる。萩尾は竹宮からクロッキーブックなどを見せられて、即座に記憶してしまったのだろう。記憶すれば無意識のうちに自分の絵に出てくるのではないだろうか。竹宮は、萩尾の絵に自分のアイデアを見て取って「盗作」だと非難した。しかし萩尾はそのことを意識していなかった。竹宮の批難にも根拠があり、萩尾の悩み=苦しみにも同情できる。