筆文字のロゴタイプ

 昔小田実が「アメリカ」という紀行文で、初めてアメリカに行った時アメリカの女性の美醜が分からなかったと書いていた。極端なのは分かる、中間が分からない。しかしそれもアメリカに何カ月も暮らすうちに徐々に両側から埋まっていって、最後は日本人女性を見るようにアメリカ人女性が見られるようになった。
 私は日本から出たことがないのでこの経験はないが、これはたいていのことに当てはまるのではないか。絵でも本当に良い絵は誰でも分かるだろう。極端にひどい絵も分かる。経験を深めていくことによって中間部分がだんだんに秩序つけられていく。
 以前、こういう枕を振ってから苦手な書について書いたことがある。今回も同じ枕を使って書について偉そうなことを書いてみたい。


 友人と居酒屋へ行ったとき、醤油のびんの商品名のロゴタイプが眼についた。筆文字で書かれている。この文字が良くないと見えた。ろくろく書が分からないくせにそんな偉そうなことが言えるのは、上に記したように極端に良いものと悪いものは誰でも分かりうるからだ。この「しょうゆ」の文字も商品としての受けを狙っていて、ケレン味たっぷりだ。まだ「刺身醤油」の方が良いけれど、どうでえ、すごいだろうという声が聞こえてきそうだ。
 以前、銀座の画廊で開かれた書家の個展を見たことがあった。壁一面に貼られた大きな紙に般若心経を書いていた。その書の中に朱色を散りばめていて、これは何だろうと不思議に思った。画廊の2階に上がると、同じ書家の小さな作品がたくさん展示されていた。それが商品のロゴマークの原図だった。「商業書道」とでも言うのか、その世界では売れている人のようだった。それで、般若心経を書いても色を付けたくなってしまうのだろう。関根伸夫がモニュメントの会社経営に携わった結果、作品の質が驚くほど低下したのを思い出した。