「逝きし世の面影」を読んで

 渡辺京二「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)が面白い。幕末から明治初期にかけて来日した欧米人の紀行文からの1,070件の引用を通じて、主に江戸時代の日本人の優れた文化を描き出している。

「日本人の間にはっきりと認められる、表情が生き生きしていること、容貌がいろいろと違っているのとは、他のアジアの諸民族よりもずっと自発的で、独創的で、自由な知的発達の結果であるように思われる」というアンベール、「卑屈でもなく我を張ってもいない態度からわかるように、日本のあらゆる階層が個人的な独立と自由とを享受していること」が東京の街頭の魅力だというイザベラ・バード、「日本人は男にふさわしく物おじせず背筋をのばした振舞いを見せ、相手の顔を直視し、自分を誰にも劣らぬものとみなす。もちろん役人は大いにそうだし、下層の者だって多少はそうだ」というジェフソン=エルマースト、「下層の人々でさえ、他の東洋諸国では見たことのない自恃の念をもっている」というホームズ、

 当時の日本人は男女とも裸体に対して何ら羞恥をおぼえなかった。公衆浴場の混浴は普通だったし、行水も隠すことがなかった。

 またオイレンブルク伯爵は、難航する幕府との交渉に鬱々たるある日、息抜きのため有名な行楽地の王子にまで遠征をした。一行は茶屋で「女将と胸を白く化粧した四人の女」から、「一向遠慮のない」接待を受けたが、「それよりもっと遠慮のないのは隣家の二人の若い女」だった。彼女らは突然小川に入って、プロシャ人たちの視線を浴びながら沐浴を始めたのである。オイレンブルクは「その限りない純真さ」に心うたれずにはおれなかった。

 1863(文久3)年4月、平戸を経て瀬戸内へ入ったアンベールの次の記載によれば、日本が鳥の楽園であるのは、海上から一見してあきらかだった。「日本群島のもっとも特色ある風景の一つは、莫大な数の鳥類で、鳴声や羽ばたきで騒ぎ立てている。ここでは鶯や禿鷹が岩の上を飛び回っているかと思うと、かしこでは鶴が杉林から悠然と飛び立っている。はるか彼方では、鵜や鷺が葦の茂みや潮のさしこむ静かな入江で魚をあさっている。至る所で雁や鴨が秩序正しい列をつくって、波の上を飛んだり空を渡ったりしており、鴎や海燕(ちどり)が岬や暗礁のあたりを群をなして飛び交っている」。

 緑が豊かなことも江戸時代の大きな特長だった。

 しかし、江戸というこの特異な都市への頌(オード)として最後に引くに値するのは、やはりオールコックのそれだろう。「ヨーロッパには、これほど多くのまったく独特のすばらしい容貌を見せる首都はない。また、概して首都やその周辺の地方に、これに匹敵するほどの美しさ−−しかもそれはあらゆる方向に、数リーグに及んでいる−−を誇りうる首都はない」。

 自制心の強さも信じられないほどだった。

 デュパールはさらにこんな話も追加している。彼は政府高官の屋敷に招かれて、その夜そこに泊った。隣室は夫人の部屋だったが、夜中その部屋で何人かの足音や話し声がした。翌朝デュパールは、主人から「昨夜はお耳触りだったでしょう。家内が男の子を産んだのです」と聞かされた。「足音や小声はたしかに聞えましたが、つらそうなお声のようなものには、まったく気づきませんでした」と答えながら、彼は信じられぬ気分だった。夫人に会ってその勇気を賞賛すると、彼女は言下に答えた。「このようなときに声を立てる女はバカです」。

 江戸時代を見直さなくてはならない。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)