葬式の仕来りを皆知らない

 葬式の仕来りをだいぶ誤解していたようだ。私だけでなく、日本人一般が。藤枝静男「私々小説」より

(母が)死んで住持が枕経をあげに来たとき、綺麗に磨いて遺骸の胸に乗せておいた果物ナイフは法にかなわなぬから剃刀を出せと命令された。手当たり次第に家中の引き出しをあけて探ったけれど、どこかに隠れているはずの錆びた日本剃刀はおろか女所帯に安全剃刀もなかった。結局妹が一軒おいた隣りへ行って、どこかの隅から捜し出された半錆びの西洋剃刀を借り出して来た。そしてこのあいだじゅう住持のそれに就いての説明が続けられた。刃物を死人の胸の上に置いて魔物除けとするというのは全くの迷信で、従って特に銘刀を選んで乗せるなどという行為は己の仏法に対する無智を暴露するだけである。これは死者の頭髪を下ろして僧尼の姿に変えて極楽に送るという形式の表現である。だから剃刀でなければ用をなさない。坊主の癖に刃を髪にあてることも知らずに経をすますやつがある。そう云った。私は来歴を聞いて成程と思った。
 母の告別式が来会者の焼香で終わったとき、彼は曲ろくに倚って30分間の締括りの説教をした。しかしそれは紋切型の法話ではなくて、焼香の形式に対する一同の無智をたしなめる説教であった。香は本来は各自が持参すべきものだが、その用意がわずらわしいから寺の所有物をもらって使うのである。だから僧にだけ頭を下げて礼を云えばいい。遺族や他の来会者にいちいち挨拶するのは無意味である。このときも成程と思った。

 以前取引先の課長の息子さんが亡くなって通夜に出席したことがある。息子さんは学生時代柔道をやっていて丈夫な体だった。ある日風邪を引いたらしいと言って早く寝たが明け方近く容態が悪化し、病院へ運ばれまもなく亡くなった。風邪のウイルスが脳に入ったらしい。突然子供を亡くしてご両親はどんなに辛いことかと思ったが、われわれ参会者が焼香の前に遺族へ頭を下げるのに、ご両親がすべて丁寧に返礼されていた。われわれの挨拶など無視して悲しみにくれていればいいのにと、何か理不尽なことが行われているような気がしていた。そうか、あの時僧侶に対してだけ挨拶すればよかったのか。