ギャラリーαM移転オープン

 武蔵野美術大学運営のギャラリーαMが長年拠点としていた東神田のスペースを閉じ、この度新宿区の武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスに移転し、新しいスペースでオープンした。JR市ヶ谷駅、地下鉄有楽町線南北線市ヶ谷駅、都営新宿線市ヶ谷駅からいずれも徒歩3分という好立地。新しいスペースは以前に比べたらやや天井が低いというが、明るくて

会場内に遮るもののない素晴らしいスペース。

 こけら落としには「開発の際開発vol.1」として平山正尚展「ニース」が開かれている(7月15日まで)。

 平山は1976年兵庫県生まれ、XYZコレクティヴやタイロンギャラリー、ナディッフなどで個展を開いている。

 ギャラリーのホームページより、キュレーターの石川琢磨の言葉、

(……)平山の作品は、子供が描いたかのような純粋な「お絵描き」なのか/読解を誘うコンセプチュアル・アートなのか、イラストなのか/絵画なのか、難解なのか/おふざけなのか。それらはアヒルとウサギのだまし絵のようで、観者の関心や理解によって作品の意味や文脈が変わる。美術やデザインのキワに立ち、造形的ボキャブラリーやパラドックスを駆使して、ひょうひょうとした謎めくユーモアを生み出している。

 ただし、彼はキワモノの作家ではない。なぜなら平山の作品にはケレン味がなく、描くこと・作ることに対する本質的な問いを投げかけるからだ。最小限のツールとプロセスで組み立てられる図像、象形文字を想起させる絵画と言語の関係性、色彩や線の大胆な単純化は、観者に「欠如」を意識させ、制作やイメージの根本に立ち返らせる。つまり、キワに立ちながら、そこが中心=本質にもなる、というパラドックスをここでも読み取ることが可能である。(後略)


 さて、私にはなかなか理解しがたい作品だった。

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平山正尚展「ニース」

2023年5月20日(土)-7月15日(土)

12:30-19:00(日月祝休み)

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ギャラリーαM

東京都新宿区市谷田町1-4 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス2階

電話03-5829-9109

https://gallery-alpham.com/

 

蓮實重彦『ゴダール革命』を読む

 蓮實重彦ゴダール革命』(ちくま学芸文庫)を読む。蓮實がゴダールについて書いた論文を集めている。『勝手にしやがれ』から遺作『イメージの本』まで、ゴダールの作品を網羅した評論集だ。

 蓮實重彦の批評は表層批評というらしい。作品の内容にはほとんど触れることなく、『気違いピエロ』の「フェルディナンが無意識に希求する海は南になければならず、海辺の光景は空と水の青さを裸の色彩そのものに還元しうるものでなければならず、またその水が、彼の存在を最終的には拒絶するものでもなければならない。そうした意味からすると、トリュフォーが提供したシナリオの段階では北の海に面した霧と曇天の港ル・アーブルに起点を持つはずになっていた『勝手にしやがれ』の物語が、ゴダールによって陽光のみなぎる地中海岸のマルセイユへと移し替えられた事実は、きわめて重要だとみなければなるまい」と、こんな調子が最後まで続く。

 そしてすべての作品について同じように表層を語っているから、作品ごとの違いは少なく、同じような言葉が続いていく。

 本書は381ページもあり、つくづく読むのが退屈で苦痛でもあった。昔蓮見重彦の『大江健三郎論』を読んで懲りていたのに、そのことを忘れて読んでしまった私がばかだった。

 

 

 

ギャラリーゴトウの森本秀樹展を見る

 東京銀座のギャラリーゴトウで森本秀樹展が開かれている(5月30日まで)。森本は1951年、愛媛県宇和島出身。ギャラリー汲美をはじめ、ギャラリーゴトウ、小田急デパートなどで数多くの個展を行っている。昨年12月にもここで個展を開いている。現在宇和島市在住。


 老夫婦の肖像画(自画像)が良かった。ほかに昔スケッチしたと言う千葉のフェリーの港や、最近閉店するまで毎晩通っていたという宇和島のバー、若い頃少し働いたボイラー室、路地裏、地下鉄などが面白かった。

 森本は質の高い抒情的な作品を描いている。小品も部屋に飾るのにうってつけのおしゃれなものが多い。

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森本秀樹展

2023年5月22日(月)-5月30日(火)

12:00-18:00(最終日16:30まで)日曜休廊

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ギャラリーゴトウ

東京都中央区銀座1-7-5 銀座中央通りビル7F

電話03-6410-8881

http://www.gallery-goto.com

 

 

 

 

コバヤシ画廊の横須賀幸男展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で横須賀幸男展「Pareidolia II」が開かれている(5月27日まで)。横須賀は茨城県水戸市生まれ、1978年に茨城大学教育学部美術専攻科を卒業している。1984年にギャラリーQで初個展、以来各地の画廊で個展を開いている。

 DM葉書には、タイトルのPareidoliaについて次のように書かれている。

パレイドリア(Pareidolia)は視覚刺激や聴覚刺激を受け取った時に、普段からよく知ったパターンを、本来そこに存在しないにもかかわらず心に思い浮かべる現象。

上の作品の一部

上の作品の一部


 タイトルと作品の関係がよく分からない。でも作品の素晴らしさはよく分かった。アクリル絵具を画面に流して制作していると言うが、制作方法はともかく作品の完成度はきわめて高い。現在数少ない優れた抽象画家の一人だろう。

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横須賀幸男展「Pareidolia II」

2023年5月22日(月)-5月27日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

 

片山杜秀『11人の考える日本人』を読む

 片山杜秀『11人の考える日本人』(文春新書)を読む。副題が「吉田松陰から丸山眞男まで」。2017年から2018年までの1年間、文藝春秋主催の「夜間授業」という講座で月1回話した講義録をまとめたもの。8月は夏休みにしたので11回行って、毎回1人の思想家を取り上げたので11人となった。内訳は、吉田松陰福沢諭吉岡倉天心北一輝美濃部達吉和辻哲郎河上肇小林秀雄柳田国男西田幾多郎丸山眞男。人選も片山の解説も素晴らしい。難解な西田幾多郎がよく分かったし、北一輝についても見直させられた。

 吉田松陰について、外国からの侵略の脅威に対して吉田松陰がたどり着いた答えは「教育」だったという。そこが尊王攘夷でトチ狂った水戸学との大きな違いだった。

(……)水戸学はあくまでエリートのための学問です。基本的には侍という選ばれたエリートが日本をどう守っていくか、天皇を将軍が支え、将軍を副将軍や諸大名が支え……、という思想に終始します。エリート以外の人間に対しては、とにかく反逆を起こさせないように統治する、愚民を抑えるという態度でものを考えている。/これに対して松陰はあらゆる階級に教育を解放しようと実践します。

 

 柳田国男は、ドライで冷徹な眼で日本を捉えようとする農政官僚としての顔を持っていた。

 柳田はリアリストでした。農政官僚として、食い詰めた農民を失業保険的なもので手当てしても、根本的に救ってあげることは無理であることが痛いほど分かっていた。もう国や社会では面倒を見られない。だから、家族で勝手にやってくれ、個人で勝手にやってくれ。まさに新自由主義的な発想、公助なき自助の世界です。ただし、ある限度を超えれば農民暴動や社会主義革命が起きてしまう。そうならないギリギリのラインを探る作業が、柳田の民俗学の根幹にありました。近代日本が直面した農業社会の崩壊という危機に冷徹に対応した思想家こそが柳田国男だったのです。

 

 本書を読もうと思った動機は、佐藤優毎日新聞の書評で絶賛していたからだ(2023年4月29日付け)。佐藤が取り上げた本にはほとんど外れがない。