サトウハチローが煮沸式クリーニングを考案したこと

 佐藤愛子「血脈」(文春文庫)の続き。文中「八郎」は佐藤愛子の異母兄サトウハチローのこと。

 ひと月ふた月と経って、寒さがやってきたので(八郎は)教室に入ることにした。実習の教室では裸体のモデルを使っているので、石炭ストーブをガンガン焚いている。教授は週に一度、制作品を見に来るが、他の日は生徒だけで実習している。八郎はストーブの前にアグラをかいて、火加減を見ては石炭をくべたり、モデルのポーズに注文をつけたりしている。そうしているうちに、「煮沸式クリーニング」というのを考え出した。特大の洗面器に粉石鹸を入れてストーブにかけ、その中で汚れたシャツを煮るのである。
「染み込んだ垢、汗、脂、フケ、吉原で拾った淋しいバイキン。何だってきれいさっぱり落してしまう煮沸式クリーニングだよ。一枚たったの三十銭……」

 驚いた。40年前、私も同じことをしていた。20歳のときテキ屋の下っ端になり、屋台のラーメンを売っていた。夜泣きラーメンだ。屋台で売るための茹で卵を大きな金属ボールで茹でていた。そのボールを使って下着を煮ていた。粉石鹸と下着を入れて煮沸する。菜箸でかき混ぜるだけで下着はきれいになった。
 誤解しないでほしいが、こんなことをしていたのは私だけだ。仲間はちゃんと洗っていた、もう一人の同僚を除いて。その安ちゃんはどちらもしなかった。月に一度行く銭湯で新しいパンツを買い、古いパンツを脱衣所に脱ぎ捨てて来た。当時私も風呂に入るのは月に一度だった。今は毎日だが。人間なんでも慣れるものなのだ。