奥泉光・原武史『天皇問答』を読む

 奥泉光原武史天皇問答』(河出新書)を読む。小説家の奥泉と日本政治思想史学者の原が天皇制を巡って対談している。原には『大正天皇』や『昭和天皇』、『象徴天皇の実像』などの著書がある。

 明治新政府を作った元勲たちは天皇を「玉」であると考えていた。支配する側にとって、統治の手段であると。しかし国民の中間層、豪農や豪商など地域の指導層たちは天皇イデオロギーを内在化させていった。しかし大衆は天皇イデオロギーを内在化しなかった。昭和10年代の超国家主義に収斂していくような流れは、この中間層の人たちがつくっていったことはほぼ間違いない、と奥泉が指摘する。

 明治以降に伝統といわれた宮中祭祀の多くが実は明治になってから作られた。

 大正天皇宮中行事についてはある程度やったが、身体を壊してからは全然やらなかった。全体としてそんなに多くはやっていない。この点は明治天皇と共通している。しかし貞明皇后大正天皇の后)は違った。明治から昭和に至る皇室の中で、もっとも宮中行事に熱心だった。

 昭和天皇は皇太子時代ヨーロッパに行っている。イギリスの王室を目の当たりにして影響を受ける。ライフスタイルを西洋風にし、後宮制度を改革して一夫一妻制を進める。女官たちの住み込み制をやめて通勤制にする。その時貞明皇后が立ちはだかる。

 皇太子だった裕仁は摂政になったが新嘗祭を行わねばならなかったのに、地方にいてビリヤードをやっていた。新嘗祭は代拝させた。翌年関東大震災が起こり、貞明皇后は皇太子が新嘗祭をやらなかったので「神のいさめ」だと和歌に詠んだ。即位後の昭和天皇宮中祭祀を熱心にやらざるを得なくなった。

 平成の天皇昭和天皇以上に熱心だった。それは皇后美智子の影響だと思うと原は言う。さらにそれは貞明皇后の女官だった今城誼子の影響力だろうと。この今城誼子は入江相政侍従長から「魔女」と呼ばれていた女官だ。

 昭和天皇については、明治天皇に重ねるような形で神格化がされる。神格化の一環で天皇の写真(御真影)が全国の学校に配布され、それを火事で焼いてしまったとき校長が割腹自殺したこともあった。

 昭和10年天皇機関説事件が発生する。美濃部達吉天皇機関説に対して、皇道派などが激しく糾弾し、美濃部は貴族院議員を辞職した。昭和天皇は機関説で良いではないかと言っていたという。

 戦後昭和天皇は退位しなかった。マッカーサーは日本の支配のためには天皇の存在が有効だと考えた。昭和天皇は国体は護持されたと言った。

 この国体とは何だったのか。

 しばらく天皇制に関する本を読んで、天皇制とは何なのか考えてみたい。