神崎宣武『旅する神々』(角川選書)を読む。神崎は民俗学者で岡山県宇佐八幡神社宮司。本書では大国主、山幸彦、吉備津彦、倭姫命、倭建命の旅を取り上げている。
神話をやさしく嚙み砕いて紹介している。しかし、いずれも面白くなかった。一般に神話は荒唐無稽だったり、現実の歴史(遺跡や遺物)とも矛盾していることが多い。神崎は神話と現実を整合しようとしない。荒唐無稽のまま、矛盾したまま、投げ出している。
倭建命(ヤマトタケル)が浦賀水道を渡っていたとき、海が荒れる。そのとき、同行していた后のオトタチバナヒメが申し出て海に身を投じる。すると、海が穏やかになってヤマトタケルは無事対岸にたどり着いた。『古事記』では、それまでオトタチバナヒメの同行については、ふれられていない。それが、突然登場して犠牲になるのだ。これも、そうなのか、と読むしかあるまいと言う。
倭姫命の旅でも、
なお、この倭姫命は、長く祀られてなかった。ヤマトヒメの存在も、一般には長く知られていなかった。大正12年、地元の有志たちが立ちあがり、ヤマトヒメを顕彰すべく神社を創建したのである。現在は、伊勢神宮(内宮)の別宮となっている。
なぜ、それまで祀られなかったのか。ここでは、それは問わないことにしよう。
いずれも判断停止のままに投げ出される。消化不良を起こさない方がどうかしているのではないか。
私は以前、オトタチバナヒメが祀られている墨田区の吾嬬神社について考察したことがある。そのくらいは検討しても良いのではないか。
