


塚原琢哉『遥かなる遠山郷』(信濃毎日新聞社)を読む(見る)。副題が「60年前の記憶」とある。これは出版時(2017年)の60年前、1958年に写真家塚原琢哉が長野県飯田市(当時は上町)遠山郷の下栗地区に40日間滞在して撮影した貴重な記録写真集。
下栗地区は交通不便な場所で、塚原琢哉は飯田線平岡駅からバスで上町に着き、そこから山道を3時間かけて登った。自動車の通れる道はなく徒歩だった。下栗地区は塚原によると、「農地が黒々とした遠山川の渓谷へ落ち込んでいるのだ。このような急斜面の畑を、私はそれまで見たことがなかった」と言い、ペルーのマチュピチュを思わせたと書いている。写真のキャプションにも「お父とお母は45度の急な斜面を耕し、トウモロコシを育てる」というのもある。
当時(1954年)の下栗地区には129戸の世帯があり、879人が住んでいたという。農業と林業が主な産業だが、農業は大麦、こんにゃく、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、里芋やダイコン、ニンジン、蕎麦、お茶、桑などを作っていたらしい。水田の写真に「唯一の田んぼ」とある。米はほとんど採れなかったのだろう。焼き畑農業に近いのかもしれない。
しかし、大人も子供もみな明るい顔をしている。小さな共同体で皆が知り合いだったのだろう。皆一様に貧しくて、地区の中では格差はあまり感じられなかっただろう。近い街場と言えば飯田市になるだろうが、飯田市へ出かける機会はめったになかったに違いない。
櫻井弘人(飯田市美術博物館学芸員)の後書きによれば、下栗地区の児童数は1980年には10人に減り休校となって上町の本校に統合されたという。2017年の戸数は44戸、人口は90人となった。
やがて自動車が通る道が開通し、さらに飯田方面と上町を結ぶ赤石林道が開通したのは1967年。この赤石林道は私の生まれ育った喬木村を通っている。
優れた民俗写真、記録写真集だ。塚原琢哉は、六本木のストライプハウス美術館の創立者とのこと。とても良い仕事をした人だ。
