サルトル『シチュアシオン X』を読む

 サルトル『シチュアシオン X』(人文書院)を読む。「X」すなわち10巻。『シチュアシオン』はサルトルの評論集で日本ではこの10巻まで出版されている。内容は時事的な評論が多いが、哲学や文学にも及んでいる。

1巻 フォークナーやドス・パソス、ニザン、ナボコフ、ジロドゥーなどを取り上げている。

2巻 「文学とは何か」

3巻 政治的な評論が多いが、「唯物論と革命」が収められている。

4巻 「肖像集」と題されていて、カミュやニザン、メルロー・ポンチ、ジャコメッティなどが取り上げられている。特にメルロー=ポンティへの追悼文が圧巻だ。

5巻 「植民地問題」と題されている。

6巻 「マルクス主義の問題1」と題されている。「共産主義者と平和」が収められている。

7巻 「マルクス主義の問題2」と題されている。「スターリンの亡霊」が収められている。

8巻 「ヴェトナム――ラッセル法廷」「フランスの問題」「知識人の問題」が収められている。

9巻 「自己に関する考察」「小文集」「精神分析的対話をめぐって」となっている。

10巻 「政治評論」「私自身についての談話」という構成

 

 私は若いころサルトルのファンで、『シチュアシオン』は8巻まで買って読んでいる。1975年に9巻も買ったのだが、そのころ興味がサルトルから離れてしまって、そのまま9巻は未読。それが最近またサルトルを読み直したくなって、10巻を探したが版元で品切れになっていた。もうサルトルは人気がないようだ。「日本の古書店」にも在庫がないか、あっても高い。仕方なく図書館で借りた。

 10巻の前半「政治評論」は時事的なもので、50年以上も前の政治を扱っていて、あまり興味を惹かれなかった。後半が「私自身についての談話」で、フローベール論『うちの馬鹿』に関するインタビューに、シモーヌ・ド・ボーヴォワールによる女性問題を中心とするインタビュー、そして85ページにわたる「70歳の自画像」と題されたミシェル・コンタによるインタビューで、これがとても面白かった。

 サルトルはこの時70歳、眼が見づらくなって、本も読めないし執筆も難しいと嘆いている。雑誌などはボーヴォワールに読んでもらっているが、書くのは口述筆記しても、自分で読み返さないと文体が推敲できない、哲学と違って文学的な執筆は何度も何度も推敲する必要があるので実質的に難しい。

 『弁証法的理性批判』について、当時毎日10時間これの執筆にかかっていた。覚せい剤の錠剤をかじりながら。

 ロラン・バルトは最近(当時)、やがてサルトルは再発見されるだろうと予言した。それをどう思うかと尋ねられて、

 サルトル――だと思うね。

 ミッシェル・コンタ――その場合あなたの作品のどの部分が新しい世代によって取りあげ直されることをお望みになるか?

 サルトル――『シチュアシオン』全体、それに『悪魔と神』だ。『シチュアシオン』はこういってよければ、哲学にもっとも近い非哲学的な部分、つまり批評と政治だ。これは残って欲しいし、読んでもらいたいね。それから『嘔吐』もね。まったく文学的な観点からするとあれは私が書いた一番いいものだろうな。

 サルトルの主著とも目されている『弁証法的理性批判』について。熊野純彦は『サルトル』(講談社選書メチエ)で、サルトルの哲学者、小説家、劇作家、政治思想家等々の側面のうち、哲学的側面を取り上げる。それも主著『存在と無』に注力し、後期の『弁証法的理性批判』については、「現在の眼から見てこの浩瀚な著作が巨大な失敗作であったことはほとんど覆いがたい」(「おわりに」)と、切り捨てる。

 サルトルは『存在と無』が重要なのだろう。