東京東麻布のPGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)で圓井義典写真展「写真という寓意」が開かれている(3月15日まで)。圓井義典は大阪生まれ、1996年東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業し、1997年東京綜合写真専門学校研究科を修了している。現在東京工芸大学芸術学部写真家教授を務めている。
圓井のテキストより
スマホにたまった写真を見返していたある日、それらの写真がとてもよくできた喩えのように思えた。
写真一枚一枚がある事物や出来事、世界の視覚的断片だとすれば、つないだ娘の手のぬくもりやSNSで目にしたコメント、そんな私自身の日々の記憶ひとつひとつも、私自身がとらえた世界の断片のようなものだといえるだろう。
ところで、自分で撮ったことさえ忘れていた写真や他人の写真を見て、偶然そこに新しい何かを見出したり、写された人の知らない一面を見出したりすることは、きっと誰にでもある経験にちがいない。もしそうだとすると、そして私たちの記憶も写真と同じく世界の断片のようなものなのであれば、自らの人生やこの現実に対するこれまでとはまったく違ったイメージを、私たち自身が忘れていた記憶の中に、そして他人の記憶の中にある時ふと見出す可能性がいつでも潜んでいるということではないだろうか。
ここにある写真たちは、ここ数年のあいだに偶然何かの拍子に撮影されたもの、私の記憶そのもののような存在だ。なぜそれを撮りたいと思ったのか、誰が撮ったのかということすら(中には娘たちが撮ったとおぼしきものもある)忘れてしまったものさえ含まれている。
それらの写真をあらためて見返す行為は、私にとってはいつもは通らない道を歩いてみるような、あるいは久しぶりのパサージュを散策するような、そんな新しい発見のためのちょっとした冒険でもある。
それによって実際に何かが見つかるかどうかはあまり重要ではない。むしろ、未知の可能性が、汲みつくせない世界の断片が、今も目の前のどこかに隠れているにちがいないということをあらためて確かめることこそが、私にとっては何よりも大切なのだ。




圓井は『「現代写真」の系譜』(光文社新書)という優れた写真論の著者であり、単純で無反省な写真家ではない。圓井のテキストに見るように、写真を通して「未知の可能性が、汲みつくせない世界の断片が」発見できるのではないかという、世界の認識を問い直そうとする姿勢を示しているようだ。このことは真剣に考えてみるべき問いかけであるように思われる。優れた写真論の著者の実作を見る良い機会ではないか。
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圓井義典写真展「写真という寓意」
2025年2月5日(水)-3月15日(土)
11:00-18:00(日曜・祝日休廊)
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PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)
東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F
電話03-5114-7935
