川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読む

 川上未映子(訊く)・村上春樹(語る)『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫)を読む。川上がインタビューアーになって村上が答えている。対談は4回行われ、最初は2015年に雑誌『MONKEY』に掲載され、翌年村上が『騎士団長殺し』を書きあげ、その作品を中心に2017年に1月と2月に3回の対談を行った。そして文庫版の発売に合わせて、付録として2019年に「文庫版のためのちょっと長い対談」を行っている。

 そんなわけで、『騎士団長殺し』についての話題が中心になっていて、村上の執筆に関する姿勢などが語られている。川上は高校生の頃から村上の読者でよく読み込んでいるし、27歳も年下なので、村上に対する尊敬がうかがわれる。

 私は村上の良い読者ではないし、『騎士団長殺し』も読んでないので、二人の対談を夢中で読むという態度からは程遠かった。それでも村上の執筆に対する姿勢を知ることは興味深かった。

 

村上  僕は比喩に関しては、だいたいレイモン・チャンドラーに学びました。チャンドラーってもうなにしろ、比喩の天才ですから。たまに外しているものもあるけど、良いものはめっぽう良い。

 

村上  あのね、僕にとって文章をどう書けばいいのかという規範は基本的に二個しかないんです。ひとつはゴーリキーの『どん底』の中で、乞食だか巡礼だかが話してるんだけど、「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねえや」と答える。(……)普通の会話だったら、「おまえ、俺の話聞こえてんのか」「聞こえてら」で済む話ですよね。でもそれじゃドラマにならないわけ。「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやりとりに動きが生まれる。単純だけど、すごく大事な基本です。でもこれができていない作家が世間にはたくさんいる。僕はいつもそのことを意識しています。

川上  (笑い)。

村上  もう一つは比喩のこと。チャンドラーの比喩で、「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というのがある。これは何度も言っていることだけど、もし「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というと、「へぇ!」と思うじゃないですか。「そういえば太った郵便配達って見かけたことないよな」みたいに。それが生きた文章なんです。そこに反応が生まれる。動きが生まれる。「つんぼじゃねえや」と「太った郵便配達人」、この二つが僕の文章のモデルになっている。そのコツさえつかんでいれば、けっこういい文章が書けます。たぶん。

 

 

 

 茶々をいれちゃうと、私が住む地域の郵便配達人はたぶん100kgをはるかに超えている。乗っている自転車がよく壊れないものだと感心している。あるいはもう何台も壊しているのか。てか、ものすごく珍しい事例なのか?