『井坂洋子詩集』(ハルキ文庫)を読む。井坂洋子の詩を読むのは初めてだったが、こんな優れた詩人だとは知らなかった。
制服
ゆっくり坂をあがる
車体に反射する光をふりきって
車が傍らを過ぎ
スカートの裾が乱される
みしらぬ人と
偶然手があってしまう事故など
しょっ中だから
はじらいにも用心深くなる
制服は皮膚の色を変えることを禁じ
それでどんな少女も
幽霊のように美しい
からだがほぐれていくのをきつく
眼尻でこらえながら登校する
休み時間
級友に指摘されるまで
スカートの箱襞の裏に
一筋こびりついた精液も
知覚できない
山犬記
わたしはすりですが、すりであることを恥じてはおりません。とったものは返しません。これ、基本です。
若い時分ですが、夕刊売りの娘からもすったことがありました。大正だったか、昭和になりかわっていたか、そのころ、夕刊は二枚で三銭でした。かわいそう、とも思いませんでした。根城にしていた官庁街に立っているんですから。わたしだって商売です。
ちょっとは気になりましたから、翌日も立っているのを見て、ほっとしました。
でも、客引きのためにリンリンと鈴を振っているその足もとに、耳がしゅんと垂れたみすぼらしい犬がすわっていました。
フーンと思いました。防犯用なのでしょう。
わたしは小銭をだし、夕刊を買い求め、「君の犬なのかい」と声をかけました。
「いいえ、ついてきちゃうんです。食べものなんかあげられないのに」
犬はきょとんとわたしの顔を見あげていました。
「これで、なにか買っておやり」
わたしは昨夜の金を握らせると、急いで立ち去りました。そんな行為こそ恥ずかしく思ったのです。
それから数日、娘には会いませんでした。いや娘は街角に立っていたのかもしれません。わたしがよそで商売していたのでした。気疲れするばかりで不健康な日が続いていました。
仕事が一段落したころ、むかしの仲間から連絡があり、夕方に会うことになりました。仲間ったってこれのほうじゃありません。彼は会社につとめていました。
ゴーリキーからチェーホフ、アルツィバーセフと夢中になって読み、顔を合わせれば発奮して論じ合わずにはいられなかったあのころは、みんな若かった。
三日と置かず会う機会をつくっていながら、
夜明けの街を、別れがたくいつまでも歩き回ったものでした。
「今に見ろ、すばらしい仕事をするから」
空元気のように言いながら、しかしいつとなく別れわかれになって、月と日は矢のように流れてしまいました。みんな妻を得て、父親にさせなっています。
友人との待ち合わせ場所に向かっていたときにはわたしはすっかり自分の今の顔を忘れていました。ふと、キャン、キャンという犬のものがなしげな鳴き声が聞こえてきました。
例の娘が、あのみすぼらしい犬を打っているのです。
犬は地にひれ伏すようにして、娘のなすがまま、動こうともしません。娘は、容赦なく手の平で打つと、わっと泣き叫びながら跪き、犬を抱き寄せました。
数人が黙って見物しています。わたしはいたたまれない気持ちになり、友人の待っている店へ走っていきました。
その夜は友人と、映画の「白痴」を観る予定でした。娘と犬の姿が目にちらつきながら、友人と映画館をでるころは、少女のことなどすっかり脳裏から去っていました。
「ね、あのころを思い出すだろ」
向かい合ってお茶を飲みながら友人に言われたとき、
「そう、まったくだね」
とわたしは深くうなずいて、しみじみと胸へ流れてくるものを感じました。瞬間あやうく涙がにじみだしさえしたのです。
「ぐずぐずしちゃいられない」
わたしは自分に返すように言いました。そのときです。友人はちらっとわたしの顔を見て、
「君のわるい噂を聞いたんだけど」
彼の肉厚な、大きな顔が、急にのしかかってくるようでした。
それからのことはよく覚えていません。わたしは彼と別れて、暗い郊外の道をさまよっていました。娘と、娘に打たれながらじっとしていた犬を思いました。あの犬だけが支えでした。
あれは
杉か
黒く盛りあがっている あれは人か
小さなしみのような
あれは
眼か
死んだあとまで
さびしさがのこってしまっている
そんな杉が
眼が
大勢で
わたしの生きているひつぎを
とりかこむ
ただの譫妄
でしかない陽の光も
ここでは硬く凝結して
月
になる
決壊に至るまで あと
わずか
霧が裾野から這いあがってきて、やがてすっぽり体中を包み、わたしは両手を地べたにつきました。四つん這いのまま、わたしの代わりに雨が、俄か雨が林や畑や小道や踏み切りを走っていきました。
感覚の弁がひとつずつひらかれ、わたしはよろこびを感じました。
打たれた犬のように震えました。