森浩一『敗者の古代史』(角川新書)を読む。袖の惹句から、
歴史は勝者によって書かれている。朝廷に「反逆者」とされた者たちの足跡を辿り、『古事記』や『日本書記』の記述を再検証。筑紫君石井、両面宿儺、蘇我入鹿……地域の埋もれた伝承を掘り起こすと見えてきたのは、地元では英雄として祀られる姿だった。現在歴史教科書で、未決着の天皇陵古墳を所在地で記述するのは、著者が提唱したことだ。考古学会の第一人者が最晩年に遺した集大成作品。
本書は2011年11月号から2013年5月号までの『歴史読本』に連載されたもの。その後森は2013年8月に亡くなり、2016年に角川書店から単行本として出版された。このように単行本で出版されたものが新書化されるのは珍しい。
今まで岩井の乱と呼ばれていたものを、九州の地域国家の王である磐井(石井)と継体天皇との戦争で、継体が仕掛けたものとする。古田武彦は磐井を九州王朝の王であると主張していたので、森の主張は十分納得できるものだ。
忍熊王は応神天皇と闘って敗れた反逆者として記紀には描かれている。忍熊王は日本武の孫で仲哀天皇の子だった。近畿地方に忍熊王の政権があった頃、北部九州に勢力を張っていたのが息長足姫(のちの神功皇后)だった。神功皇后は九州で誉田別(のちの応神天皇)を生み、東進して忍熊王と闘い、これを破って近畿王朝の天皇位を奪った。水野祐は『日本古代王朝史論序説』で応神天皇からを中王朝とした。
森は倭の五王について近畿王朝の天皇に比定している。このように異論はあるが、総じて教わることの多い優れた書だ。『古事記』、『日本書記』などの正史がいかに勝者の視点で綴られているか、根本的に見直すべきだろう。