中島らも『中島らもの特選明るい悩み相談室 その1 ニッポンの家庭篇』(集英社文庫)を読む。昔朝日新聞に連載し、それを朝日新聞文庫7巻にまとめたのを再編集したもの。
夫と娘のおそろしい商談
【問】 「おっぱいさわらせて」
「500円くれたら」
「200円にまけて」
「もう一声!!」
このおそろしい会話はなんと主人と小学校5年の長女のものです。こんなとき私は妻として、母として、どんな態度をとればよいのでしょうか。
(神戸市・ただなのにさわってもらえない妻・36歳)
【答】 お手紙を拝見しまして、最初はア然とし、やがてその驚きが激しい怒りに変わってくるのを覚えました。
高い。あまりに高すぎます。
いったい何を価値の根拠としてそれほどの無謀な価値設定ができるのでしょうか。
おそらく手紙から判断するに、その200円というのは「ひとフサ」の値段だと思いますが、百歩ゆずってこれが「ふたフサ」であってもまだ納得のいく値段ではないいと考えます。お嬢さんは小学生で多額のお年玉をもらったりするために、金銭に対する価値観が狂っている。つまりお金というものをナメているのではないでしょうか。(中略)
親子なんだから水くさいことを言わずにタダにさせなさい。(後略)
いや、小学校5年なら対価はゼロでしょう。
温水プールの放尿母子の悩み
【問】 家から歩いて5分の温水プールに、2年前から元気よく通っている女子高生です。温水プールに入るとあんまり気持ちがいいので、悪いとは知りながら「おしっこ」のたれ流しを平気で続けています。とはいえ、少々気になるので、やはりプール中毒の母に相談したところ「あっはっはっは。あんたも? 実は私もよっ……」。やめられそうもないのですが、母子でご相談いたします。よろしく。
(東京・似たもの母子)
【答】 何というおそろしい母子だと目をむいてお怒りになる方がひょっとすると読者の中におられるかもしれません。しかしイエス・キリストはおっしゃいました。「この中で罪のない者があればこの女に石を投げよ」と。この「罪のない者」はそのまま「プールでおしっこをしたことがない者」という言葉に置きかえても、そうメチャクチャな差し障りはないのではないでしょうか。(多少の差し障りはあるでしょうが)。
現に僕は石を投げられてもあたりまえ、というくらいこれをやっています。ひょっとすると自分だけかもしれないので、不安になって友人にたずねてみました。答えは「プールのおしっこ? ああ、あれはなかなかええもんや。僕は背泳ぎでその現場を後へ後へと遠ざけていきながら、移動しつつやる。そのときにカエル泳ぎの足でおしっこをかきまわして拡散させるようにする。これはつまり、エチケットや」というものでした。(後略)
むかし友人がこれを銭湯でやると気持ちいいと言っていたのを50年ぶりに思い出した。
父と風呂に入る習慣をやめたい
【問】 先日大学で友人たちと雑談していて、私は笑い物になりました。私は父と一緒におふろに入っています。赤ん坊のときからいつもおふろは父と入っていて、それが自然のことと思っていました。でも、友人たちに言わせると、父親と一緒に入ったのはせいぜい小学校の低学年までだったというのです。私は目覚めました。もう父とおふろに入りたくありません。父を傷つけずにおふろに入らなくてすむ方法はないでしょうか。
(大阪市・S・19歳)
【答】 (前略)確かに、19にもなって父親とおふろに入るというのは変わってます。でも、「変わってる」のは「普通」のことなのです。今さらあわてずに、堂々と一緒に入ればいいのです。
「巻末エッセイ」で本上まなみが書いている。
この「明るい悩み相談室」以外でも彼(らも)のどんな文章を読んでも「笑わせなあかん」という、宿命というか、業を感じてしまうのです。
「笑わせなあかん」はいささか食傷する。続篇を手に取ることはないだろう。