幸田文『崩れ』を読む

 幸田文『崩れ』(講談社文庫)を読む。幸田72歳のとき、『婦人の友』に14回に渡って連載したもの。全国の大きな崩壊現場を訪ねてそれを詳しく書いている。静岡県の大谷崩れ、富山県の鳶山崩れ、富士山の大沢崩れ、日光男体山の崩れ、長野県の稗田山崩れ、北海道の有珠山の噴火、鹿児島県の桜島の噴火などなど。

 いずれも観光地ではないので、林業事務所などの人たちに案内されて、時に難所などは背負われて、険しい山道を登って崩壊現場を見に行く。さらに同じ場所に季節を替えて再度見に行っている。

 桜島の爆発について、土地の記録から要を抜き書きしておく、とあり、次のように書いている。

 

 爆発の前兆のようなことは、前年から始まっていたらしい。たとえば谷に悪ガスが発生しているのを知らずに、薪採りに先に行った母が帰らず、それを探しに行った息子がまた戻らず、更に父が行ってあやうくのがれ、母子はガス中毒死だったということ、またある村では大雪なのに、その隣村では池の水が急上昇して、魚やえびが一度に全滅した等々のことがあった。年をこして1月、天候異常で、8日には大雪、9日快晴、10日には鳴動がはじまり、夜は大雨でひと晩中かみなり、11日に群発地震、絶えず鍋で湯をわかすような音、列車がレール上を通過するような地鳴りの音が続き、温泉といわず、石垣のすき間といわず、やたらと熱湯や水がふきあがり、地裂けも山崩れも現れはじめ、12日爆発、噴煙3千メートル、火柱の射出、落石、鳴動と爆発音次第に激しく、東西2カ所の山腹から噴火、あちこちの民家が火をひいて火災多発、ついに全島混乱、死者35、負傷112、行方不明23。いたましい限りの惨状である。

 

 いずれの崩壊地の報告も見事なものだ。しかし幸田は本書の刊行をもう少し書き足したいからと許可しなくて、ようやく発行されたのは幸田が86歳で亡くなった翌年の1991年だった。だからあとがきは娘の青木玉が書いている。