『吉野弘詩集』を読む

 『吉野弘詩集』(角川春樹事務所)を読む。これは「にほんの詩集」という12冊のラインナップの1冊だ。ほかには、『谷川俊太郎』『長田弘』『中島みゆき』『金子みすゞ』『萩原朔太郎』『中原中也』『石垣りん』『まど・みちお』『寺山修司』『工藤直子』『宮沢賢治』となっていて支離滅裂な選定という印象を受ける。おそらくこれらが売れ行きの見込める人気詩人なのだろう。

 吉野弘をまとめて読むのは初めてだった。印象に残った詩がある。

 

  I was born

 

 

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながら僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 

 女はゆき過ぎた。

 少年の想いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと了解した。僕は興奮して父に話しかけた。

――やっぱりI was bornなんだね――

 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――。

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。

 

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

――蜻蛉(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になったことがあってね――

 僕は父の顔を見た。父は続けた。

――友人にその話をしたら 或日 これが蜻蛉の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは――。

 

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。

――ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体-―。

 

 

 とても良い詩だ。

 だが、この詩以外はあまり評価できるものではなかった。描いている世界は黒田三郎に近いが、平板な印象なのだった。