赤瀬川原平『自分の謎』を読む

 赤瀬川原平『自分の謎』(ちくま文庫)を読む。100ページ余の薄い文庫本で、半分がイラストになっている絵本みたいなエッセイだ。5つの章があって、「目の問題」「痛い問題」「国境問題」「一つだけの問題」「強い自分、弱い自分」となっている。

 「目の問題」は、「鏡を見るのが嫌な人と、嫌でない人がいる。ぼくは嫌なので困る」とある。なぜ嫌なのかわからなかったが、よく考えたらわかってきた。「鏡を見ると、人に見られるからだ」と言う。鏡に映っているのは自分だけど、その自分という人の目がこちらを見ている。それがどうも嫌なのだ、と。

 私も鏡を見るのは嫌なのだ。鏡には不細工な顔が映っている。できれば見たくない。画廊へ行って作品を見るときに、まれに鏡を使った作品を展示している作家がいる。あれも嫌だ。自分の顔を見たくない。どうして作品を見る時に自分の顔を見なければならないのか。早々に目をそらして作品を凝視することはない。

 むかし友人がショールームの支配人をしていた時に、接客担当で数人の派遣女性を雇っていた。彼女たちの机には小さな鏡が置かれていて、化粧や服装が乱れていないようにチェックするために置いてあると支配人の友人が言っていた。しかし、彼女たちは客が来ないときは四六時中自分の顔を映して見ているんだよと教えてくれた。

 それを聞いてとても驚いたことを思い出した。まあ、接客担当に選ばれているのだから、彼女たちは人並み以上の容姿なのだろう。私のように自らを恥じることはないのだから、鏡に自分の顔が映っていても何ら嫌がるはずはない。それにしても驚いたのだった。

 支配人の友人はとてもイケメンなのだが、彼がいつも鏡を見ているとは思えない。私のように嫌ではないかもしれないが、好んで自分の顔に見入っていることはないだろう。すると、鏡を好むのは女性特有の現象なのだろうか? 

 単行本が発売された時、帯に「こどもの哲学 大人の絵本」とあったそうだ。なるほど。