筒井康隆『誰にもわかるハイデガー』(河出文庫)を読む。副題が「文学部唯野教授・最終講義」で、32年前の1990年に池袋西武スタジオで講演した講演録。それに大澤真幸が長い解説を付けている。
いや、筒井康隆のハイデガーなんてどうせ面白エッセイの類だろうと手に取ったが、これが本格的で驚いた。さらに全体の1/3を占める大澤真幸の解説が50ページもあって分かりやすく素晴らしい。
筒井康隆はこの講義にためにハイデガー『存在と時間』を全3巻の岩波文庫(桑木務訳)で1カ月かけて読んだが、非常に読みづらかったと言っている。講演でテキストにしているのは、中央公論社版で原佑と渡邊二郎が訳しているもので、これのほうがずっと分かりやすかったと。その二つの訳を参照しながら読んだという。
筒井康隆が講演でやさしく語ったとおり、ハイデガーがこんなに分っていいのかというくらい面白く分かりやすく語っている。解説で大澤真幸も、
唯野教授の「よくわかる」解説は、『存在と時間』の理解としてまことに正確である。子どもやサルでもわかるとか、1時間程度の短時間でわかるとかいうことを売りにした哲学の入門書は、巷に溢れているが、そのほとんどが原典の最も肝要な部分を逸している。「確かにその本は1時間くらいで読めるかもしれないけれど、その内容は原典とはまったく関係ないよ」と言いたくなるような本ばかりである。
しかし、唯野教授によるこの講義、「誰にもわかるハイデガー」は違う。よくわかる上に、『存在と時間』のエッセンスをまことに的確に抽出している。ハイデガー研究の専門家は皆、このことを認めるだろう。
そして大澤は「注」で岩波文庫版について補足する。
本文の中で、筒井康隆さんは岩波文庫版に苦言を呈している。筒井さんが読んだ岩波文庫版と、現在の岩波文庫では訳者が違う。現在の岩波文庫の熊野純彦訳は名訳である。岩波文庫の名誉のために、記しておく。
ハイデガーのやさしい解説というと、いしいひさいちの4コマ漫画「ハイデガー」を思い出す。いしいひさいち『現代思想の遭難者たち』(講談社)に収められている。その『思想的な「道具存在」』という4コマ漫画。
(1コマ目)
ハイデガーは1933年、ナチ党に入党。フライブルク大学総長就任時にナチ寄りと受けとられる講演をした。
(2コマ目)
ハイデガーによれば、自分固有の死を先取りすることで、人間は自らの「運命」となり、またその共同体の運命ともなる。また「道具」とは、何々のためにという目的の中で、初めて意味を持つ存在者である。
(3コマ目)
ハイデガーはドイツの山村メスキルヒ出身。34歳のとき、妻子がありながら17歳の教え子ハンナ・アレントと密会を重ねた。
(4コマ目)
自らが現に存在することを理解し、気にかけている存在者という意味で、ハイデガーは人間のことを「現存在」と呼ぶ。
さりながら、やはり難解な『存在と時間』を読もうという気にはなれず、でも、ハイデガー/木田元監訳「現象学の根本問題」(作品社)は読んでみたい気がする。
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