ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』(岩波文庫)を読む。詩人のヴァレリーは37歳年上のドガと親しくつきあっていた。その交友の中から見聞きしたドガの言葉やドガの知人たちに関するエピソードを書いている。本書は今まで吉田健一、粟津則雄、清水徹、今井勉などの翻訳があるが、2017年にオルセー美術館で「ドガ ダンス デッサン――ドガ、そしてヴァレリーへのオマージュ」展が開かれ、本書のヴォラール版が復刻されて、ドガのデッサンの図版入りの原書が参照できるようになった。それで日本でも初めて図版入りの翻訳書が刊行されることになった。
ルーブル美術館で、ヴァレリーはドガと一緒にアンリ・ルソーの「栗の木の並木道」を見ていた。
しばらく見とれたが、私は次のことを見て取った。画家がどれほどの熱意を込め、どれほど忍耐づよく、葉むらの塊がもたらす圧倒的な効果を少しも失わないまま、数かぎりない細部を制作したのかということ、もっと正確に言えば、終わりのない仕事をしたと思わせるほど、細部を描き込んでいるという感じを生みだしているか、ということを。
「これは見事ですね」と私は言った。「でも、これだけの葉を全部描くのはなんと大変なことでしょう……。まったく面倒なことにちがいありません……。」
「口を慎むことだね」とドガは私に言った。「面倒でなければ、おもしろくもなんともないだろう。」
ドガもソネットを書いていた。ドガがマラルメと夕食をしていたとき、詩の創作が自分に与える極度の苦しみをマラルメに訴えたことがあった。
「なんという仕事だろう」と、ドガは叫んだ。「いまいましいソネットを書こうとして、まるまる1日を潰したのに、1歩も進まないのだ……。それでも考えがないわけではないんだ。アイディアならいっぱいある……。ありすぎるくらいだ……。」
するとマラルメガ、いつもの穏やかな深みのある調子で言った。「だけど、ドガ、詩句は考えで作るものではない……。言葉で作るものなのだ。」
(中略)
ドガはデッサンのことを、かたち(フォルム)を見る見方だと言い、マラルメは詩句は言葉で作られていると教えることで、それぞれの芸術において「すでに見出していなければ」、十分に、また有益には理解できないものを要約していた。
……当時(1890年頃)何人かの卓越した精神の持ち主たちが、近代とその理論家に対する反発の感情をはっきり語る姿が見られた。(中略)人びとは大聖堂、プッサン、ラシーヌをふたたび語りはじめた。(中略)
伝統というものが無意識の状態でしか存在せず、中断されることが決してないということを人びとは忘れていた。感じとれない連続性こそ、伝統の本質である。《伝統を再興する》、《伝統を取り戻す》というのは、見せかけの表現だ。
さて、ドガは反ドレフェス派で反ユダヤ主義者だったという。やれやれ。
本書はドガの図版を本文中に挿入するために4色印刷をしている。そのため用紙に厚いものを採用している。文庫という小さい判型で厚い用紙を使ったため、多少開き辛くなったことは否めない。317ページの割りに束が厚くなっている。価格も割高になっている。