熊野純彦『戦後思想の一断面』を読む

 熊野純彦『戦後思想の一断面』(ナカニシヤ出版)を読む。副題が「哲学者廣松渉の軌跡」というもの。マルクス主義哲学者で、マルクスエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』に関する新編集をまとめ、マルクスの後期思想「物象化論」を重視し、マッハ研究とともに認識論にも独自の視点を提案した。ブントの創立に関係し、雑誌『情況』の出版に資金を提供している。

 名古屋大学東京大学で教え、論文も多数あるが、1994年、肺がんのため60歳で亡くなった。本書の著者熊野純彦は東大時代の高弟。難解で知られる廣松の弟子なのでやはり優秀で、多くの著書がある。

 本書の構成は廣松の軌跡=生涯と、その思想を解説している。「物象化」について、

 

物象化とは、後年の整理によりながら、とりあえず現象的に規定しておくならば、「人と人との社会的関係(この関係には事物的契機も媒介的・被媒介的に介在している)が、“物と物との関係”ないし“物の具えている性質”ないしはまた“自立的な物象”の相で現象する事態」のことであり、さしあたりは「人と人との関係が物的な関係・性質・成態(ゲビルデ)の相で現象する事態」のことなのである(『物象化論の構図』)。

 

 また廣松の主著『世界の共同主観的存在構造』(岩波文庫)の位置について、

 

……刊本の「序章 哲学の逼塞情況と認識論の課題」は、世にいう廣松哲学のいわばマニフェストとして、それ自体が記念碑的な意味を持つ一文である。こんにちの読者は、また、当の「序章」を熟読することによって、廣松哲学がどのような問題場面から出発したものであり、その原型的な発想はいかなる理論的脈絡をふまえたものであったかを、つぶさに確認してゆくことができる。

 

 本書は廣松哲学のとりあえずもっとも包括的な叙述であり、その意味では廣松没後の現時点にあってなお――マルクス関係の諸業績をいったんおいてかんがえるかぎりでは――廣松渉の、第一の主要著作とみなされるべきものにほかならない。知の各分野への影響という点からかんがえても、この書はおもうに、廣松の数多い著書のなかでも格別に重要な一緒であるというべきであろう。本書の影響は、哲学・哲学史研究の世界にとどまらず、人文・社会科学の諸ジャンル、さらには自然科学の世界の一部にまでおよんだといってよいからである。

 

 熊野が廣松の最後について書く。

 

 5月22日午前9時48分、廣松は入院中の虎の門病院で永眠した。60歳の早すぎる死であった。廣松の決定的な不在を、私はしばらく受け入れることができなかった。その意味を測りしることができなかったからである。測りえないという意味では、こんにちでもなおそうである。過ぎ去ったものの決定的な不在は、いつまでも現前しつづける。いくどか私は、そうじぶんの文章に書いてきたけれども、そのときどきに廣松渉の不在のことを、あたまのかたすみでかんがえていた。

 25日、高輪で告別式があり、通夜にあたるものはその前日だった。小林昌人に言われて、廣松渉のなきがらをまぢかに見た。私は、ほんとうは見たくはなかった。つきなみなことではあるけれども、目で見れば信じなければならなかったからである。

 廣松はゆるやかに目を閉じて、眠っているようであった。戦いを終えて、ひととき休んでいるかに見えた。

 

 ここまでが本書の「第1部 軌跡」で、第2部は「解読―廣松実践哲学の構想と、廣松哲学体系の〈外部〉」となっている。第2部は3つの章からなっていて、『廣松渉著作集』第5巻の「解説」、『情況』臨時増刊号、『情況』2002年7月号に掲載したものに加筆修正しているという。第2部はとても難しい。

 さて、熊野の廣松渉紹介に従って、買ったものの未読で積んであった廣松の著作数冊をこれから読んでいくことにしよう。