白取千夏雄『「ガロ」に人生を捧げた男』を読む

 白取千夏雄『「ガロ」に人生を捧げた男』(興陽館)を読む。数日前、高野慎三『神保町「ガロ編集室」界隈』(ちくま書房)を読み、「高野が退職したあと、何年かして青林堂は人手に渡る。そのあたりのことを高野ははっきりとは書いてくれない」とブログに書いたら、知人が本書に「ガロの顛末のある一面が書かれてい」ると教えてくれた。

 白取は1984年に『ガロ』の青林堂にアルバイトとして入り、翌年正社員となる。青林堂がツァイトの子会社になったあと副編集長になり、『デジタルガロ』編集長を兼任する。

 白取が青林堂で編集者として現役で働いていた頃、『ガロ』は次第に販売数が減少し、社長の長井も年を取ったので会社の身売りの話が出た。それでコンピューターソフト会社のツァイトの山中潤社長が支援に乗り出した。長井が会長になり、山中が社長に就任した。1989年だった。山中の経営戦略は功を奏し、『ガロ』の売り上げは3倍に伸びた。

 山中はデジタルの世界に進出することを計画し、また映画製作にも意欲を見せた。白取は山中のツァイトに移籍し、『デジタルガロ』の編集長に就任した。だが『デジタルガロ』は失敗する。当時の環境から時期尚早だったのだろう。

 白取のそんな行動が青林堂の古くからの社員たちから反発を受け、ある時一斉に集団退社されてしまう。退社届をファックスで送られて。一人残された白取では『ガロ』の発行も難しく、休刊届を出す羽目になる。1997年だった。

 次に竹書房の編集者だった長門雅之が復刊『ガロ』の編集長になって1998年1月号から復刊したが、売り上げもイマイチでその年9月に休刊する。それで大和堂の蟹江幹彦に会社を売る。2000年1月号から『ガロ』は再復刊する。しかし結局2002年に「蟹江ガロ」も潰れてしまった。そしていつのまにか青林堂は右翼出版社になってしまった。

 白取は2005年に突然白血病を宣告され、余命1年を告げられる。だが、最初の診断は正確ではなく、癌を抱えたまま2017年まで闘病生活を送る。その間、妻だった漫画家のやまだ紫京都精華大学で専任教授としてマンガを教えることになり、2007年に夫婦で京都へ転居する。東京を離れ平安な日々が続いたが、2009年に突然やまだ紫脳出血で倒れ、10日後に亡くなってしまう。

 白取の遺稿(本書)は白取が亡くなったあと、弟子筋の画廊狼がまとめて自費出版し、それを興陽館から再発行することになった。白取の文章は明晰とは言い難く、画廊狼の編集も分かりやすいとは言い難い。『ガロ』の廃刊の顛末は明確になったとは思えないが、それでも事情の一端は理解できた。

 『ガロ』が雑誌掲載の原稿料を誰にも支払わなかったとは驚いた。単行本にまとめた時には印税を支払っていたようだけど。また青林堂が編集者のみで営業担当がいなかったことが慢性経営不振の原因でもあったろう。編集者だけでは健全な出版社経営は難しいはずだ。

 

 

『ガロ』に人生を捧げた男 ― 全身編集者の告白

『ガロ』に人生を捧げた男 ― 全身編集者の告白

  • 作者:白取 千夏雄
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)