蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)を読む。副題が「ナチスと例外状況の政治学」というもの。ナチスの独裁思想を擁護したワイマール期の最右翼の政治学者。ナチの御用学者。その独裁の政治思想ってどんなものなのだろう?
シュミットは例外状態を重視する。政治的な例外状態とは、現行の法秩序が停止され、そこに無制限の権限が発生していることだ。現行の法秩序の停止という例外状況といえども、法秩序ではないにしろ、秩序は存在している。法は後退しても国家は存続しているから。国家の存立は法規の効力より優越している。国家が存立しているということは政治的な決定がなされていること、それをなしうる主権者が存在することを意味する。その際「決定」はいかなる規範にも拘束されておらず、本来の意味で絶対的なものになり、国家はその権利に基づき法を停止することができる。シュミットにとって国家の存立こそが第一義的に重要であり、国家形態や憲法は副次的な意義をもつものだった。
いかなる秩序も、法秩序といえども、規範に基づくものではなく、決定に基づいている。規範や法は安定的秩序をもつ正常状態を前提として、はじめて有効になる。法や規範が意味をもつには、正常な状態が実際に存在していなければならず、この状態が存在しているか否かを、また存在していない場合どうすべきかを明確に決定する者、それが主権者だった。主権者とは強制ないし支配の占有者としてではなく、何よりも決定の専有者として、法律学的に定義されねばならない。
19世紀前半のヨーロッパは自由主義的な議会主義的立憲主義によって統治されていたが、社会主義やアナーキズムなどが台頭し、議会主義を廃棄しようとしていた。議会主義は当初、自由に意見を述べあう討論の過程で、「真理」なり「正しさ」を明らかにする制度として正統化されたが、次第に理念は実態とかけ離れ、諸々の利害を調停し均衡をはかる制度に変貌していく。それに対して最もラディカルな批判を展開したのが独裁の思想だった。
独裁の思想は、議会主義の媒介や調停の立場、つまり均衡の立場を、決断を欠いた偽りのものであり、根本的解決にはならないと否定し、それと正反対の立場に立つ。複数の議論を尊重し互いに討論するのではなく、問答無用の一義的な「断定性」の立場を支持する。そのような立場は直接的なものだけに確実性の感覚は増大するものの、その立場を貫徹すると、「流血の決闘」にいたるしかなく、最終的には敵対者を断固として排除する独裁体制に行きつく。
議会主義と独裁は等価的であるが、議会を通さない、人民の歓呼を基礎になされる独裁政治の方が、議会よりも重要な政治問題について迅速な決定を下すことができる。このような論拠に立ってシュミットは独裁政治を肯定し、議会主義の批判という観点から同時代の独裁思想に注目する。
シュミットははじめナチには批判的だったが、ヒトラー政権が成立すると、シュミットもナチスに入党し、従来の著作の新版を出すに際して新体制にそぐわない箇所の削除や修正をして身の安全を図った。またナチス体制を理論的に正統化する著書を発表し、ナチの「桂冠法学者」としての地位を確立した。
しかし、「レーム事件」でヒトラーが党内外の不穏分子を粛清したとき、古くからの盟友だった突撃隊SAの指導者レームとその一派など、多数の人物を殺害した。シュミットがかつて連携を目指したことのあるシュライヒャーらも粛清され、身の危険を感じた。シュミットはレーム事件を正当化した小論を発表する。しかしシュミットは1937年以降「御用学者」の第一線からは退いていった。
戦後シュミットはアメリカ軍に逮捕されたが、尋問担当者はシュミットの理論や経歴についての理解が足りず、不起訴になって釈放された。
蔭山は本書をシュミットの著作に沿って解説し、その政治思想に関する入門書となるよう意図しているという。同時に蔭山のシュミット論であり、かなり難解な内容になっている。読み終えるのにふだん読む新書の2~3倍の時間がかかってしまった。
だが独裁の政治思想という今まで考えても来なかった思想の一端を知ることができた。シュミットの『政治的なものの概念』(未来社)は40年ほど前に買って一度読んでいる。もう一度読み直してみようか。