丸谷才一『七十句』を読む、また検印のこと

 丸谷才一『七十句』(立風書房)を読む。「あとがき」に、「このたび七十歳を迎へるに当り、齢の数だけの句を拾つて知友に配らうと思ひ立つた」とある。1995年丸谷が70歳になったのを記念して70句だけの句集を作った。そんな体裁だから「知友に配る」つもりだったのだろうが、出版社が売りたいと言って私家版じゃない本書ができたのではないか。1ページに1句が置かれている。きわめて贅沢な造本、もちろんハードカバーだ。70句を春夏秋冬と新年に分け、それぞれ中扉と裏白、和田誠の挿画と裏白を配して、これだけで5×4で20ページを取っている。70句が70ページ、目次やあとがきを入れて101ページになった。本体1748円に税金。

 句をいくつか拾ってみる。

 見送りて目薬をさす帰雁かな

 桜桃の茎をしをりに文庫本

 拝復と書くまで長きふところ手

   5列目にて芝居を見て

 討入やいろはにほまで雪の中

 去年今年読みつづけたり盛衰記 

 丸谷の句は高踏派である。半ば遊び、余裕で作っている。半端じゃない教養を出し惜しみしない厭味もある。それがたった70句の句集だ。丸谷も出版社もそんなに売れるとは考えなかったのではないか。それでおそらく丸谷の遊び心の提案で検印を付すことにしたのだろう。

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 検印とは写真のように奥付のページに著者の押印を貼付するもので、著者が押印した小片を出版社に提供し、出版社がそれを奥付に貼って初めて発行できるものだった。著者は押印した小片の数で発行部数を管理した。検印の数量が印税の数量を意味したので、きわめて重要だった。昔の作家のエッセイで、家族総出で押印し、この判子1個がいくらになるのだから頑張れと家族にハッパをかけている描写があった。しかし、何万部も発行すると著者の押印も大変だし、それを奥付に貼り込むのも製本所の負担になる。それで50年ほど前から「著者との合意により検印廃止」と印刷することで検印を省略し、さらに単に「検印廃止」と印刷するに至り、昨今はそんな文字もなくなっている。

 ただ、検印が不要になれば、悪い出版社は発行部数を過少に報告して印税の支払いをごまかすこともあった。著者は検印がなければ本当の発行部数を把握することができない。私が勤めていた小さな出版社のH社長はいつもみみっちく印税をごまかしていた。

 もっともある弁護士が言っていた。誠意があれば契約書がなくても約束は実行されるし、誠意がなければ契約書があっても約束は履行されないと。契約書や検印より誠意が大事なのだった。

 

 

七十句

七十句